「戦略的な」合理化というものは、…「周囲」から「自分のもの(プロープル)」を、すなわち自分の権力と意志の場所をとりだして区別してかかる。言うなればそれはデカルト的な身ぶりである。〈他者〉の視えざる力によって魔術にかけられた世界から身を守るべく、自分のものを境界線でかこむこと。科学、政治、軍事を問わず、近代にふさわしい身ぶりなのだ。…こうした戦略にたいして…わたしが戦術とよぶのは、自分のもの[固有のもの]をもたないことを特徴とする、計算された行動のことである。…戦術には自律の条件が備わっていない。戦術にそなわる場所はもっぱら他者の場所だけである。…それ(戦術)は、…「敵の視界内での」動きであり、敵によって管理されている空間内での動きである。だから戦術には、グローバルな計画をたてることも…できない。戦術は、ひとつひとつ試行錯誤的にやってゆくわけである。…(戦術は)時のいたずらに従わねばならない。所有者の権力の監視のもとにおかれながら、なにかの情況が隙をあたえてくれたら、ここぞとばかり、すかさず利用するのである。戦術は密猟をやるのだ。意表をつくのである。(p.100〜102)
--出典:
日常的実践のポイエティーク (ポリロゴス叢書)