ドストエフスキーの詩学 (ちくま学芸文庫)
文体模写はある文体の存在を前提としている。すなわち文体模写は、自分が再現しようとする文体的手法の総体が、かつては直線的で直接的な意味作用を持ち、最終的な意味決定権を発揮していたことを前提としているのである。だから、文体模写の対象となり得るのは、第一タイプの言葉だけである。文体模写は,他者の指示対象的な意図を、自分の目的のために、つまり自分の新しい意図のために役立たせようとする。文体模写の実践者は、他者の言葉を他者のものとして用いながら、同時にその言葉に客体化の影をうっすらとかけてやる。…客体化の影の一部は,特定の視点そのものに投げかけられることになり、その結果その視点そのものが条件づきのものと化してしまうことになる。条件づきの言葉ーそれは常に複声的な言葉である。条件づきの言葉となることができるのは、かつては無条件の真剣な言葉だったものだけである。この本来の直線的で無条件な意味が、今度は新しい目的のために奉仕することになり、その新しい目的が内側からその意味を支配し、それを条件づきのものとしようとするのである。この点において、文体模写は模倣から区別される。模倣は形式を条件づきのものとすることがないが、それは模倣自体が模倣されるものを真面目に受け取り、それを我がものとするからであり、他者の言葉を直接的に消化吸収していまうからである。…文体模写に類似したものとして…語り手による叙述がある。…しかしこの場合は文体模写の場合に比べて、語り手の言葉に射している客体化の影ははるかに色濃く、一方条件づきの性格ははるかに弱められている。…それでも純粋に客体化された語り手の言葉というものは絶対にあり得ない。…(作者は語り手の言葉を)多かれ少なかれ条件づきのものとするのである。(p.382〜384)