狂気の歴史―古典主義時代における
十五世紀の後半に入る以前…死の主題だけが支配的だった。…狂気の主題が死の主題にとってかわったということは、両者の裂け目よりもむしろ、同じ不安のなかでの一つのゆがみを特徴づける。…かつては、死という終焉が近づきつつあることを全然認めないのが人間の痴愚(狂気)だったし、死を見ることによって人間を知恵にたちかえらせねばならなかった。ところが今では、知恵はいたるところで痴愚を摘発することになるだろう。人間たちがすでに死者以上の何ものでもない点、終焉が近いかどうかは普遍的となった痴愚がもはや死それじたいと同一でしかなくなるその程度に応じてである点を彼らに教えることに存するだろう。…十五世紀には、狂気と虚無のこの絆がきわめて密接にむすばれているので、それは長らく存続し、古典主義時代の狂気体験においてもなお見いだされるだろう。(p.31-33)
--出典: 狂気の歴史―古典主義時代における
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