狂気の歴史―古典主義時代における
あの幻惑するさまざまの形態に近接した宇宙的にひろがる狂気経験と、諷刺という横切りがたい距離をおいたうえでの、同じ狂気についての批判的な経験、これらの対立の図式…。…これらの対立はそれほど顕著でもなく表面的でもなかった…。…双方から派生したものは交錯しあい…。…多くの相互干渉がなお見られるとはいえ、狂気経験の例の二つの形式への分割は、すでにおこなわれていて、両者の距離はもはや拡がるばかりである。宇宙的ヴィジョンをもつ形象と道徳的省察の動き、悲劇的要素と批判的要素、それらは今後ますます離れるだろう…。…十五世紀の絵画では、世界の悲劇的な狂気として展開される。その一方では…狂気は言説の世界を通して把握されている。…狂気は知恵に屈服しなければなるまい。狂気が自己正当化をおこなう場合の言説は、人間の批判的意識にしか属さない。文芸復興期の初頭、狂気について感じられ形づくられたすべては、批判的意識と悲劇的経験のこうした対立によって活気づけられてきた。だが、この対決は急速に消えさり…。…狂気の批判的意識は、ますますはっきりと解明されつづけたが、その一方では、狂気の悲劇的な形象はしだいに暗闇のなかに没入していった。…十六世紀には、(悲劇的意識の)根本的な絶滅ではなく、その隠蔽が重要になる。批判的に意識にあたえられた独占排他的な特権が狂気の悲劇的で宇宙的な経験を隠蔽したのである。…狂気の批判的意識の下部では、…悲劇的意識が目をさまし続けていたのである。(p.42-45)
--出典: 狂気の歴史―古典主義時代における
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