狂気の歴史―古典主義時代における
このように真剣さをなくしたからといっても、狂気がきわめて重要であることにかわりはない。…空想が最高潮に達しているとしても、それを出発点にしているからこそ、空想がうちくだかれるのだから。…狂気は、偽りの事件の完了が課す偽りの処罰であるけれども、狂気固有の力によって、真実の問題をうかびあがらせ、その結果、その問題もほんとうに解決されるにいたる。…狂気は、思い違いのもっとも純粋でもっとも完全な形式である。…狂気はまた、演劇の仕組みのうえで思い違いをもっとも厳密な意味で必要とする形式でもある(例:スキュデリー『喜劇役者たちの喜劇』における演劇の演劇)。こうした気違い沙汰を通して、演劇はその真実、幻想である真実をくりひろげる。(p.56-57)
--出典: 狂気の歴史―古典主義時代における
お気に入りにいれた人:0人   お気に入りに追加する