狂気の歴史―古典主義時代における
狂気の古典主義的な経験が生まれる。十五世紀の地平に登場した狂気の非常な威嚇はやわらぎ…。今ではそれらは透明であり、従順であって、止むを得ず理性のお供として後に従っている。…狂人の舟が寿命をまっとうして一世紀ばかり過ぎさると、〈狂人施療院〉という文学上の主題があらわれるのが認められる。…そこでは、それぞれの狂気の型に応じて、整備された居場所、符牒、そして守護神がおのおの定められている。…無秩序の世界のこうした住人たちは、今度はきわめて秩序正しく、〈理性〉の礼讃を口にする。(阿呆船への)乗船に続いてこの《施療院》ではすでに監禁が行われている。…狂気が小説や演劇の虚構作品のなかにきわめてしばしば見いだされることに驚くまい。…狂気は、社会的な景観のなかにきわめて親しみ深いシルエットを描いているのである。…十七世紀初頭のこうした世界は、不思議なほど狂気を大切に保護している。そこでは、事物や人間にとりかこまれて、狂気は、真なるものと空想的なものの目印をごちゃごちゃに混ぜ返す皮肉な徴表であって、大いなる悲劇的な威嚇の思い出をほとんど残していはいない。だが、新しい無理強いが芽生えつつある(p.57-59)
--出典: 狂気の歴史―古典主義時代における
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