「A」―マスコミが報道しなかったオウムの素顔 (角川文庫)
評価 : (4.0点)

映画を観てから読もうと思って、積読くこと約1年。
大型連休にようやく読み終わりました。

内容は基本的に映画の流れを踏襲しているので、副読本として読むと便利。
異なる点は、表現者・制作者である森達也自身が、映画よりも登場人物として前面に出てくるところ。
特にテレビの制作会社との契約解除から、意固地になりながらも、どこかテーマ性に魅かれ、
淡々と撮影を続けるあたりなどは、もうひとつのドキュメンタリーを見ているようでした。

興味深いのは、社会学者・宮台真司による巻末の解説付録。
以下、簡単に要約する。

***

現代社会システムのなかで、私たちいろいろなことを「体験」する。
その体験に解釈を与える作為を「体験加工」というそうだ。

世間ではこの体験加工の早い、即断即決型の人のことが「聡い」と思われている。
そうした視点からは森達也の「体験加工」は驚くほど遅く見える。
しかしこれは、体験加工を留保する、というあえてする不作為と宮台は論じる。

オウムがサリンをまいた、たくさんの死者が出た、という体験の一方で、
オウムは敵だ・社会は味方だと体験加工する前の、留保によって見えてくるものがある、という。

たとえば、かつて、現在では精神病に分類される振る舞いにも、
共同体のなかで、「狐憑き」や「シャーマン」の役割が与えられた。
しかし現在では、まず犯罪者同様に隔離され、治療対象と化される。

***

本文を読んで思うところはたくさんあったけれど、この解説がとりわけ興味深かった。
眼前の狂人の振る舞いに安易に解釈を与えない、体験加工しない社会の豊かさが見え隠れする。
だが、とはいえ、オウムは、という解釈もまた、人間らしい営みとも思う。


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