「世間」の現象学 (青弓社ライブラリー)
日本人が集団主義的にみえるのは、このように個人が存在せず、「世間」という集団のなかに個人が埋没しているようにみえるからである。また日本人が没個性的にみえるのも、個人が存在せず、集団の「意思」だけが前面にあらわれるようにみえるからである。(p64)
わが国では、「意思」は相互に依存している関係のうちからしか形成されないので、自己決定は「自己」がする決定になっていないのだ。(p63)
古くから「世間」のなかで人は「ほかの人間たちに基準を求め」てきたのであり、また「他者との絆を顕示することで」、つまり自分がどういう「世間」に属しているのかを協調することで自分を表現してきた。これはまさに十二世紀以前のヨーロッパと同じである。(p59)
個人が存在しないということは、いわゆる西欧流の自己決定や意思決定が存在しないということでもある。(p60)
私たちがある困難な課題をかかえて意思決定しなければならないときに、もっとも自然な方法は「なるべくしてなった」というやり方である。柄谷行人は、わが国では自発性と構造的強制があいまいにからまりあっており、作為と自然の二項対立が成立しえず、意思決定はいつも「いつのまにかこう成ってしまった」というようになされるという。(p61) [x]
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