社会を変えるには (講談社現代新書)
一九六〇年代から八〇年代の日本では、安定雇用が広がったので、それ以前の時代より、生活様式やライフサイクルが均質化しました。男なら一八歳か二二歳まで学校に行き、新卒で就職して、着実に給料があがり、六〇歳で引退する。女なら二四歳までに結婚して、三〇歳までに二人の子どもを産み、三五歳で子育てを終えて、パートに出たあと、老いた親を介護する。農民や自営業者もいるけれど、それはそれで、「伝統的」な行動様式を保っている層です。
 こういう社会は、きわめて政治や政策をやりやすい。「労働者」や「地域」の代表が議員になり、「雇用者」「農民」「主婦」「高齢者」といった分類に対応した政策をとればいいからです。
たとえば日本の年金制度は、結果的には、こういうコンセプトて組み立てられたと言われます。雇用者は給与天引きで会社と折半して厚生年金を積み立てる。自営業者や農民は国民年金に入って、自分で納入する。もらえる年金は、雇用者が定年まで勤めると月額二〇万円くらいのことが多いのに、国民年金は満額でも六万円程度にしかならない。しかし農民や自営業者は六〇歳以後も働けるし、自宅があって、息子が跡を継いで嫁が面倒をみてくれるから、月額六万円でも問題ない。
 問題は、上のような類型にあてはまらない人が、たくさん出てきたことです。たとえば持ち家がないのに、厚生年金に所属できなかった、高齢の元非正規労働者や元零細企業労働者。廃業して跡継ぎがいない、高齢の元自営業者などです。近年では、それが増大し、今後ますます増える傾向が固定してきました。こういう問題の多い制度をそのままにして、財源がないから税金だけ上げる、というのでは格差の是正になりませんし、賛成もできません。
 経済政策も同様です。以前だったら、公共事業で道路や港湾を整え、業界団体の人に話をつければ、企業が誘致できて経済が成長し、公共事業で支出したぶんはとりもどせることになっていました。要するに「こうすればこうなるだろう」という予測が立ちやすかった。それが成りたたなくなってきたのです。(p375-376)
--出典: 社会を変えるには (講談社現代新書)
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