それでは、こう考えたらどうでしょうか。最初から「私」や「あなた」があるのではなくて、まず関係がある。仲良くしているときは、「すばらしいあなた」と「すばらしい私」が、この世に現象します。仲が悪くなると、「悪逆非道なあなた」と「被害者の私」が、「私」から見たこの世に現象する。これを、「ほんとうは悪逆非道なあなたのことを、私は誤認していた」と考えるのではなく、そのときそのときの関係の両端に、「私」と「あなた」が現象しているのだ、と考える。
つまり、関係のなかで「私」も「あなた」も事後的に後世されてくる、と考えるわけです。関係の中で作られてくるわけですから、どちらが正しいということは言えません。向こうが怒ればこちらも腹が立ちます。向こうが笑えばこちらも警戒心を解きます。関係は変化しますから、「私」も「あなた」も変化します。おたがいが、作り作られているのです。(p351)
--出典:
社会を変えるには (講談社現代新書)