性差を越えて―働く女と男のための栄養剤
 共感が、人間関係を支えている社会では、弱者の体験を共有できないがゆえに、弱者は孤立せざるをえなのだ。弱者には、哀れみと同情が、注がれるだけである。明日は自分が弱者になるかもしれない、という認識が共有されることはない。だから、弱者は、黙って社会から消えていくのだ。
 雇用機会均等法は、国内の運動としては生まれなかった。海外からの圧力によって、産業界がしぶしぶ承諾したので、均等法は成立した。日本の現状はまだまだ、きわめて強固な男社会である。しかし、日本でも、女が台頭しているのは、紛れもない事実である。それは、日本でも、価値が移動していることを意味している。
 日本のほんとうの弱者たち、それはおそらく子供であろう。子供は支配を完全に受けていないので、自意識が完成していない。社会の価値観を体得する時期に、体得すべき価値観は無秩序である。女達は、もはや男社会に、何の意味も見いだしていない。男たちも、自分たちの社会に自信はない。今の子供たちには、見習うべき人生の手本がない。
 今では、価値は不動だったから、それを人間の本質であるとして、教育ができた。しかし、価値を失った今の社会は、どんな人間を育てたらいいのか、暗中模索である。人間の本質を、見失ってしまったのである。そこでとにかく、現在の社会に適合する人間をつくる以外に道はない。それが二〇年後、三〇年後に役にたつかどうか、わからないのにもかかわらず、現在の価値に照準を合わせざるをえない。(p217-218)