「働かないことが苦しい」という事態は、「働くべき」という価値があらかじめ本人に内面化されていなければ、起こりえない。他者から見て無価値であるだろう己の姿が、自分で「見えて」いるからこそ、「苦しみ」は生じる。これを踏まえれば、「苦しみ」を抱える若者は、すでに十分に「社会的存在」になっていると言える。
日本の青少年行政では、所属を持たず仕事をしていない若者は、「非社会的」と位置付けられてきた。そして、「非社会的」な若者にいかに社会参加を促すか、という問いが展開されてきた。しかし、以上の事例に照らせば、働かないことに苦しみを覚える若者を、「非社会的」とするのは適切でない。本人が十二分に「社会的」であるにもかかわらず、現実の職場に参加することがないとすれば、そこに何があるのか。この点を問うていく必要がある。(p166,貴戸)
--出典:
現代思想 2013年4月号 特集=就活のリアル