松岡:自己決定権というときに、現実的には残された選択肢のなかから選んでいることが多いと思うんです。子どもを産むについても、じっさいにはいろんな社会的な制約のなかで、ある選択肢を採用し、それは選ばざるを得なかったのに自己決定と言わされる。文化というのはかなりの抑圧装置だから、あるひとつの選択肢の方向だけを示してしまう画一性とか方向性を持っているでしょう。だから文化や電動が枠としてあるところは選択肢が少なくて、わたしたちのような社会はテクノロジーも含めて実は選択肢はたくさんあるのかな、という気もしますね。
甲斐:選択肢があるという情報を充分知らない人が多いんです。現実はあるのに、それらがどういう意味を持っていて、「こうすればこうなる」と正しく伝達するものがないので右往左往する。ちょっとした関連雑誌が出れば、それが本当かなあと思ったりするんですね。