六ヶ所村の記録〈下〉
評価 : (5.0点)

「あとがき」だけでも読むに値する。以下に、少し抜粋する。

「むつ小河原開発」は、財界主流の経団連ばかりか、ほかならぬ政府機関が介在した「国家的事業」だったから、開発から核廃棄への突然の「計画変更」は、「国家的欺罔」ともよべる。この欺かれた基盤のうえに、「核燃料サイクル施設」が建設され、すでにウラン濃縮工場では遠心分離機の搬入がつづけられている。
 地盤の不安定な沼沢地に、盛り土されて集中配置されようとしている核施設は、世界でも例をみないほどに過大なもので、将来、三〇〇〇トンの使用ずみ核燃料がもちこまれ、年間八〇〇トンの再処理がなされる計画である。
 使用ずみ燃料としての高レベル放射性廃棄物は、ガラス固化体(キャニスター)にして四六四〇本(再処理工場で三二〇〇本、英仏など海外からの返還分一四四〇本)、それらが六ヶ所村に集まってくる計算である。「低レベル」では、ドラム缶で三〇〇本が永久に埋設される。
 たしかに、一〇〇〇年もたてば、たいがいの放射性物質の毒性は死滅するであろう。が、プルトニウム239の半減期は二万四一〇〇年、ネプツニウム237は二一〇万年、ヨウ素129に至っては、一六三〇万年といわれている。一〇〇〇年の安全を保つ容器でさえ、いまだに保証されていないのだから、六ヶ所のひとたちは、はるか一万年以上は毒性を保ちつづける死の灰と添い寝することになる。

 東北の太平洋岸の歴史には、大地震と大海嘯(津波)の歴史が刻みこまれている。地盤が脆弱で、なおかつ大活断層の存在が指摘されている地点で、人類とは相いれない、もっとも危険な放射性物質を保存し、加工しようとするのは、安全性の信頼をその押しつけによっているが、自然の猛威を完全に制御し、事故を完封できると信じたがったにしても、それは利益に目のくらんだ、電力会社や電機会社の経営者たちの迷信でしかない。
 原発は、たかだか人間が制御できない物質を日夜ためこんでいる。廃棄物を再処理してウランとプルトニウムを取りだし、それを高速増殖炉で燃やしてプルトニウムを生成させるのが核燃料サイクルだが、プルトニウムはすでに過剰である。
(下巻 二八四~二八五頁。前後省略)

※「あとがき」の日付は、一九九一年三月一五日とある。二〇一一年三月一一日の震災の日の、ほぼちょうど二〇年前だったことになる。


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