シャーロック・ホームズの愉しみ方 (平凡社新書)
評価 : (3.0点)

初めてシャーロック・ホームズの名前に触れたのは、小学生の頃でした。
今ではあまり小説を読まなくなりましたが、社会人になってから買い求めた文庫版のシャーロック・ホームズは、今も本棚の中に収まっています。
何か、読み返したくなるような気がして処分できない種類の本なんですよね。

そんなシャーロック・ホームズを愉しめるのであれば、こんなに嬉しいことはないわけです。
さぁ、一体どんな愉しみ方を見せてくれるのでしょうか。


ご存じない方はいないと思いますが、シャーロック・ホームズはコナン・ドイルが創作した小説中の人物です。
それは僕にはほとんど動かし難い現実としか思えないのですが、例えば、2008年にイギリスのテレビ局が行った世論調査によれば、イギリス人の58%が「シャーロック・ホームズは実在人物だ」と思っているそうですし、世の中には、シャーロック・ホームズを実在人物として、学問的に研究する人たちも存在します(そのような人のことをシャーロキアンと言います)。

ふと、先日読んだタイラー・コーエンの『フレーミング 「自分の経済学」で幸福を切りとる』の帯表紙に掲載されていた宣伝文句を思い出しました。

「人は、バイアスがあるからこそ、自分にとって価値ある情報を選べる。これが「フレーミング」。情報の小さなピースを上手に集めて、頭の中に「自分だけの経済」をつくれば、複雑きわまりない世の中を、楽しく生きていける。
シャーロック・ホームズも、グレン・グールドも、アダム・スミスも、ウォーレン・バフェットも「フレーミング」の達人だった!?」

お気づきでしょうか。
シャーロック・ホームズ以外の「フレーミングの達人」はみんな明らかに実在の人物です。
ここに、シャーロック・ホームズが並んで違和感のないことといったら!
と、あたかもシャーロック・ホームズが実在すると考えることが不自然ではないような雰囲気になりかけていますが(なってない?)、本書は、何もシャーロキアンのように、ホームズを実在人物としてみるような「愉しみ方」を推奨しているわけではありません。
が、しかし、そのような捉え方をすることによって、小説の世界が現実に溶け出し、無限の愉しみを与えてくれることも、また事実でしょう。
(英米では実在人物と思っている人が多いので、そういう愉しみ方が盛んなんだそうです)

「本書では私もシャーロック・ホームズをあくまで真面目に扱った。彼のことを真面目に考えていると、不思議なことにまるで探偵本人が実在するような気がしてこないだろうか? そうすると自然に読み方も変わる。(P.263)」

実は僕も本書を読みながら、ここで書かれているような感覚を常に感じていました。

例えば、様々な記述から「実はワトソンは女性だった(!)」という説を展開している論文とか、ホームズがモリアーティ教授を滝壺に投げ落とした「バリツ」という日本式レスリング(と翻訳されている)とは一体何なのかを解き明かしてみたり。
それら一つひとつを解明していく中で、次第に現実と小説世界との境目が混然としてきます。
遂には、かの嘉納治五郎先生とホームズが会っていた可能性(!)などという話まで飛び出してきますから驚きますが、そこに何の飛躍も感じさせないのです。

そんな本書に、ホームズの世界から広がる愉しみの世界の入り口を垣間見たような気がします。
ただ、対象が知的で教養がありそうな雰囲気がする(実際、そうなんですけど)だけで、「オタク」に近い要素も感じざるもえませんでしたけど(汗)
(そうだとすると、潜在的にオタク願望のある僕が惹かれるのも分かる気がします。)

「しかしシャーロック・ホームズは別に研究すべきものではない。読んで愉しめばよいのだ。面白いことは請け合いである。(p.263)」

研究家の方がこう言っているのです。
肩肘張らずに「愉しみ」のために、またベイカー街221Bを訪ねてみることにしましょう。
そこから広がる世界に足を踏み入れるには、英語で読んだ方がいいみたいですけどね。


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