逆立ち日本論 (新潮選書)
評価 : (5.0点)

物事をあるがままに見ようとしても、様々な錯視の実例を見る度に、自
分の見ている物についての確信が揺らいでくる。それと同じく、自分の
考えというものを確立しようと思う度に、考えの立脚点を強固な地に置
いたつもりが、実はいびつだったと思い知らされることがいかに多いか。

養老氏の著作を読むたびにそういう思いに駆られる。今回、2011年の締
めくくりとして自らの未熟さを思い知った上で、新年を迎えるにあたっ
ての戒めとしようという思いから本書を手に取った。今回対談相手を務
めている内田氏、実は著作はおろか、雑誌などでも論考を目にしたこと
がなく、期待感とともに読み進めた。

帯や背表紙などで、色んな論点に飛び回っての自由な対談であることは
予想していたけれど、期待通りの内容。逆に期待と違ったのは、自らの
論考の錯覚に気付かされた箇所が少なく、予てより考えていた自分の論
点について、わが意を得たり、という意見が数か所あったのも、収穫で
あろうか。

たとえばユダヤ人については、私も教科書的な知識しかもっていなかっ
たけれど、そもそもユダヤ人の定義自体が学術的にあいまいなことを通
じて、二人でユダヤ人の定義に迫ろうと試みる部分、実はこの部分は日
本人とは何かという考えに通ずる部分があり、意識がそもそも根源的な
遅れを経て言葉として発せられる、つまりそこからあらゆるアイデアの
元を追求することに英知への入り口があるというくだり、感銘を受けた。

個人情報保護法に関する部分もわが意を得たりと頷けた。情報産業に関
わる私、直接的に情報保護については関与することも多いけれど、昔か
ら情報保護というお題目にある種のもやもや感を抱いたままだった。本
書を通じてそのもやもや感が大分整理された気がする。2012年に入って
mixi上にてSNSとの関わりを変えていく、という宣言をしたのだけれ
ど、匿名か実名か、というSNSを使い分ける際の大きな問題について
吹っ切れたこともあり、2012年からは実名アカウントであるFacebookへ
のかかわりを強めるきっかけとなったのが本書とも言える。

あまりにも対談のテーマが広く、それぞれの論点で私の意見を開陳する
と冗長になるためこれ以上は書かないけれど、色々な論点について、そ
の根源となるさらなる論点が潜んでいることに思いを致すことなく考え
を述べている自分を戒めつつ、精進をしたいと思った。いい本で一年の
読書体験を締めくくることが出来、満足である。

'11/12/27-'11/12/31


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