社会を変えるには (講談社現代新書)
評価 : (5.0点)

小熊氏は、これまでの日本社会の経過を
「社会」を「宴会」に例えて説明しています。
みんなにとって楽しい「宴会」にするにはどうしたら良いのか?
そんな視点で読むと得るものが大きいと感じた一冊です。
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昔の宴会は問題があまり起こりませんでした。
有力者が「この料理にする」と決めればみんな従っていた。
選択肢も限られていたし、みんながそんなものだと思っていたので、
けっこう楽しんでいました。

そのうち、だんだん選択肢が増えてきました。
すると幹事さんの苦労が増えてきます。
幹事さんは、事前に参加者の希望を聞いて、
洋食◯人、和食◯人、中華◯人…とカテゴリーで把握して注文しておくことにしました。
不満が出たらさらに選択肢を、肉が◯人、魚が◯人と細分化していきます。

ところが、いくらやっても不満が出ます。
幹事の支持率は下がり、「いい幹事がいるらしい」となれば交代しました。
しかし「絶対にみなさんを満足させます」という触れ込みにも関わらず
事態は好転しません。

そのうち年寄りが「わがままを言わせるな。強い幹事を連れてきて従わせろ」と言い出す始末。
それなりに参加する人もいましたが、若い人が参加しなくなって、宴会がさびしくなっていきました。
それで、参加を強制したら、今度はもめごとが絶えなくなってきた。

「幹事が決めるからいけない。バイキングにして自由選択にしよう」という妙案が出てきました。
「そうだ、そうだ」とみんなが思ったのですが、一時的な満足でした。
「あれはないのか、これはないのか」と言い出す人があいついだため、
バイキングの品数を増やさなくてはならなくなりました。
その結果、食べ残しが多くなり効率が悪くなります。
専門の料理人やたくさんの食材が必要になります。
地元の料理屋では対応できなくなり、都会の大きなホテルが会場になります。
参加費が高くなり、参加できない人が出てきました。

参加費を下げるには、おおぜい人を呼ばなくてはなりません。
大量にチケットを販売するしかありません。
なんだか今度はよそよそしい雰囲気の宴会になりました。
数人で固まって話をする人、すみっこで一人で食べている人などがでてきて、
宴会の意味がなくなってきました。

これはまずい、とインターネットで探したら、
少人数でも安く好みのセットを提供する業者を発見しました。
品目もそれなりにありますが、よく見れば同じ食材の調理方法を変えてあるだけです。
安くするために、本部が食材を一括大量仕入れしていました。
「こんなあなたにぴったり」という
カテゴリー分けされた上手な謳い文句がついているのですが、
だんだん飽きてきます。
「あなたはこんな人でしょう」と分類されて、
自分が手のひらで踊らされているような、いやな気分もあります。

おまけに、非正規雇用の若年者や女性が、
本部が作ったレシピで機械的に調理している様子で、
そこで働いていた親戚からひどい職場だったといううわさも伝わってきました。

さて、どんな宴会なら、参加者がみんなが
安い参加費で、楽しく参加でき、満足してもらえるのか?
幹事がするべきことはなんでしょうか?

優れた幹事任せでなく、
参加者の自由選択でもない
みんなが楽しい宴会の形はいかに。


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