狂気の歴史―古典主義時代における

著者
出版者
新潮社
価格
¥6,300

評価・詳細レビュー

(4.0点)

参考になった人:0人   参考になった

引用

狂気の古典主義的な経験が生まれる。十五世紀の地平に登場した狂気の非常な威嚇はやわらぎ…。今ではそれらは透明であり、従順であって、止むを得ず理性のお供として後に従っている。…狂人の舟が寿命をまっとうして一世紀ばかり過ぎさると、〈狂人施療院〉という文学上の主題があらわれるのが認められる。…そこでは、それぞれの狂気の型に応じて、整備された居場所、符牒、そして守護神がおのおの定められている。…無秩序の世界のこうした住人たちは、今度はきわめて秩序正しく、〈理性〉の礼讃を口にする。(阿呆船への)乗船に続いてこの《施療院》ではすでに監禁が行われている。…狂気が小説や演劇の虚構作品のなかにきわめてしばしば見いだされることに驚くまい。…狂気は、社会的な景観のなかにきわめて親しみ深いシルエットを描いているのである。…十七世紀初頭のこうした世界は、不思議なほど狂気を大切に保護している。そこでは、事物や人間にとりかこまれて、狂気は、真なるものと空想的なものの目印をごちゃごちゃに混ぜ返す皮肉な徴表であって、大いなる悲劇的な威嚇の思い出をほとんど残していはいない。だが、新しい無理強いが芽生えつつある(p.57-59)
お気に入りにいれた人:0人   お気に入りに追加する

このように真剣さをなくしたからといっても、狂気がきわめて重要であることにかわりはない。…空想が最高潮に達しているとしても、それを出発点にしているからこそ、空想がうちくだかれるのだから。…狂気は、偽りの事件の完了が課す偽りの処罰であるけれども、狂気固有の力によって、真実の問題をうかびあがらせ、その結果、その問題もほんとうに解決されるにいたる。…狂気は、思い違いのもっとも純粋でもっとも完全な形式である。…狂気はまた、演劇の仕組みのうえで思い違いをもっとも厳密な意味で必要とする形式でもある(例:スキュデリー『喜劇役者たちの喜劇』における演劇の演劇)。こうした気違い沙汰を通して、演劇はその真実、幻想である真実をくりひろげる。(p.56-57)
お気に入りにいれた人:0人   お気に入りに追加する

セルバンテスやシェクスピヤでは、狂気はつねに、それには救いがないという点で極端な位置をしめている。狂気はいかなるものによっても、真理や理性につれもどされない。狂気の通路の先には、裂け目、そこからさらに死しか存在しない。…狂気が…突然、知恵を示したことは、「彼が何か新しい狂気にとらえられた」ことにほかならない…結局、死じたいによってしか一刀両断に解決されないものなのである。狂気の消滅は、最期が近づいていることと同じである。…しかしごく速やかに、狂気は…資の領域から離れる。十七世紀初頭の文学では、小説や演劇の作品構造の仕組みのなかに移されてしまった狂気は、真理を表明したり理性を穏やかに復帰させる場合の口実の役目をはたす。その理由は、狂気はもはや、その悲劇的現実において、あの世へ狂気を導く絶対的な悲痛さにおいて考察されずに、ただ単に狂気のもつ幻想の皮肉を通して把握されているからだ。狂気は現実の懲罰ではなく、懲罰の写し、従って見せかけであり、犯罪の仮象や死の幻影としか結びつくことができない。…つまり、狂気が懲罰や絶望となるのは、錯誤の次元においてでしかないのである。(p.54-56)
お気に入りにいれた人:0人   お気に入りに追加する

ウィッシュリストへ追加
非公開
タグ

メモ


ライブラリへ追加
非公開
評価
 
読書ステータス
つぶやく
タグ

メモ


タグを入れることで、書籍管理ページで、タグ毎に書籍を表示することが出来るようになります。
また、スペース区切りで入力することで1つの書籍に複数のタグをつけることもできます。

※注意: このタグはあなたの管理用だけでなく、書籍自体のタグとしても登録されます。あなた以外の人に見られても問題ないタグをつけてください。
ウィッシュリストからライブラリへ移動
評価
 
読書ステータス
つぶやく