Ai Ishihata
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栗原 彬(翻訳) I. イリイチ(著者) 玉野井 芳郎(翻訳) / 1990-03-09
感傷主義は、産業社会のなかでイデオロギーと信仰の基層に横たわる一種の複合現象である。それは、産業社会のさまざまな活動によって破壊される諸価値こそが、まさしく産業社会自身が大事に育てているものだということを表明する。それは、いまや人間生活の自立・自存の基盤ー経済成長によっていやおうなしに破壊される生活自立の基盤ーに帰されるいろいろな価値が、まさしく経済成長がつづくためになくてはならないものなのだということを表明する。それは、生活の自立・自存の基盤を経済の影法師の姿へと変化させる。感傷主義は、生産と消費との対立のなかで暗黙のうちに、生活の自立と自存への郷愁をあやつることによって、隔離体制を首尾よく処理する。そうして、郷愁がかきたてるこの「人間生活の自立・自存の基盤」はヴァナキュラーな領域の反対側にある経済の影となることがわかるのである。隔離体制の犠牲者たちー女性、患者、黒人、無学者、低開発国の人々、中毒者、敗残者、プロレタリアートーへの感傷的な賛歌は、すでに人が降伏してしまった権力にたいする儀式的な抵抗への道を提供する。人間生活の自立・自存のために必要とするその環境を強奪してきた社会において、何ひとつその代わりとなるものが知られない場合には、この感傷主義はごまかしなのである。そのような社会が拠りどころとしているのは、社会が世話をし管理しなければならない者についてたえず新たな<診断>を行うことである。そしてこの温情主義的ごまかしこそは、抑圧された者の代表者たちが、たえず新たな抑圧へと向かう権力を追い求めることを可能にするものなのである。
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栗原 彬(翻訳) I. イリイチ(著者) 玉野井 芳郎(翻訳) / 1990-03-09
感傷主義は、産業社会のなかでイデオロギーと信仰の基層に横たわる一種の複合現象である。それは、産業社会のさまざまな活動によって破壊される諸価値こそが、まさしく産業社会自身が大事に育てているものだということを表明する。それは、いまや人間生活の自立・自存の基盤ー経済成長によっていやおうなしに破壊される生活自立の基盤ーに帰されるいろいろな価値が、まさしく経済成長がつづくためになくてはならないものなのだということを表明する。それは、生活の自立・自存の基盤を経済の影法師の姿へと変化させる。感傷主義は、生産と消費との対立のなかで暗黙のうちに、生活の自立と自存への郷愁をあやつることによって、隔離体制を首尾よく処理する。そうして、郷愁がかきたてるこの「人間生活の自立・自存の基盤」はヴァナキュラーな領域の反対側にある経済の影となることがわかるのである。隔離体制の犠牲者たちー女性、患者、黒人、無学者、低開発国の人々、中毒者、敗残者、プロレタリアートーへの感傷的な賛歌は、すでに人が降伏してしまった権力にたいする儀式的な抵抗への道を提供する。人間生活の自立・自存のために必要とするその環境を強奪してきた社会において、何ひとつその代わりとなるものが知られない場合には、この感傷主義はごまかしなのである。そのような社会が拠りどころとしているのは、社会が世話をし管理しなければならない者についてたえず新たな<診断>を行うことである。そしてこの音場主義的ごまかしこそは、抑圧された者の代表者たちが、たえず新たな抑圧へと向かう権力を追い求めることを可能にするものなのである。
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栗原 彬(翻訳) I. イリイチ(著者) 玉野井 芳郎(翻訳) / 1990-03-09
ヴァナキュラーというのは、「根づいていること」と「居住」を意味するインド-ゲルマン語系ののことばに由来する。ラテン語としてのvernaculumは、家で育て、家で紡いだ自家産、自家製のもののすべてにかんして使用されたのであり、交換形式によって入手したものと対立する。自分の妻の子、奴隷の子、自分が所有する家畜のろばから生まれたろばは、ちょうど菜園や共有地からとれた基本的な生活物資のように、ヴァナキュラーな存在である。…すなわちそれは、生活のあらゆる局面に埋め込まれている互酬性の型に由来する人間の暮らしであって、交換や上からの配分に由来する人間の暮らしとは区別されるものなのである。
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栗原 彬(翻訳) I. イリイチ(著者) 玉野井 芳郎(翻訳) / 1990-03-09
今日にいたるまで、経済の発展はつねに、人々が物をつくるかわりにこれ以降買うことができるようになる、ということを意味してきた。市場をこえている使用価値が商品に置きかえられるのである。経済の発展=開発はまた、商品なしに暮らすことを可能にしていた諸条件が物理的・社会的・文化的環境から消え去ったがゆえに、まもなく人々が商品を買わざるをえなくなるということも意味している。そうなると環境は、物資やサーヴィスを金銭で買う能力のない者によって使用されることがもはや不可能となる。

…「生き生きとした共生のための用具」においては、いかに経済成長が使用価値を創りだすことのできる環境を破壊するかを示した。この過程を私は「貧困の現代化」と名づけた。なぜなら現代社会においては最も購買力のない者がまさしく共用地の利用上の価値から最も遠ざけられている者でもあるからだ。この事実を私は「必要なものの充足にたいする、商品による徹底した独占」に起因するものと考えた。
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栗原 彬(翻訳) I. イリイチ(著者) 玉野井 芳郎(翻訳) / 1990-03-09
サーヴィスのエキスパートたちが人々の「面倒を見ている」あらゆる領域で、これらの専門家たちは、素人、言い換えると客を自分たちの監視のもとに無報酬で働く助手として引き入れようと躍起になっている。こうした自助の術作によって、産業化社会の基本的分岐が家庭の内部に投影されている。誰もかれもが、消費者としての自己の欲求を満足させるのに必要な商品を個人的に生産する者となっているのだ。<シャドウ・ワーク>のこうした新たな拡張を進めるべく、代替策、非集中化、意識化などといった語は、それらを用い始めた人々が考えていた意味と正反対の意味を帯びさせられている。人間生活の自立と自存にとっての<ヴァナキュラーな領域>に固有な活動と<シャドウ・ワーク>との区別を明らかにし、理解をうながさないならば、自己満足と自己監視の経済が80年代をとおしての第一の成長部門となることであろう。
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