「わかる」とは、順を追って理解して行くことである。そうすることによって、学ぶ側に「納得」が起こる。「わかる」とは「納得すること」なのだから、「わかって行くプロセス」とは、「我が身を納得させる時間」に等しい。すべてのものが、初心者に対して「基礎を確実にマスターする」を要求するのは、そのためである。
そして、初心者にとってなにが一番いやかと言えば、「基礎を確実にマスターする」の間のチンタラした時間である。「それをマスターして、さっさとカッコいいものになりたい」と思う人間にとって、「基礎を確実にマスターする時間」は、カッコいいところがなにもなくて、おもしろくもなく、下手すれば「ぶざまな自分」にも直面してしまう、「いやな時間」でしかないのである。
--出典:
「わからない」という方法 (集英社新書)