中世末期になると、癩病は西洋世界から姿を消す。…それはおそらく…十字軍時代が終わったあと、近東諸国の伝染病流行地帯との交渉がとだえたために起こった帰結でもある。癩病は姿を消し、あの汚辱の場所とあの祭式—それらは癩病を防止する役目ではなく、神聖な距離をもうけてそれを維持し、逆方向の興奮によってそれを固定する役目をあたえられていた―を、用事がなくなって見棄ててしまうのだ。おそらく癩病よりも長期間のこりつづけるもの、…それは癩病患者という人物に結びつけられてきた、さまざまの価値およびイメージである。それは患者幽閉の意味であり、社会集団におけるこの執念深く恐ろしい人物像の重大性であって、人々はそのまわりを神聖な輪でつつんだのちにはじめて、この人物像を遠ざけるのである。(p.21-23)
--出典:
狂気の歴史―古典主義時代における