この第一の狂気と隣接するのが、無益な傲慢から生まれた狂気である。だが今度は、狂人が同一化する対象は、ある文学上の規範ではなくて、狂人自身なのであり、しかも想像上の同意のはたらきによって、狂人に欠けているあらゆる長所、あらゆる力が自分に貸与されているような気持ちになるのである。…これは、どんな人間の心にもある、自分との想像上の関係である。人間のもっとも日常的な欠陥が生まれるのも、この種の狂気のなかであり、それを摘発することは、あらゆる道徳批判の最初にして最後の領域である。(p.53)
--出典:
狂気の歴史―古典主義時代における