狂気の歴史―古典主義時代における
狂気の最後のタイプとして、絶望せる情念による狂気がある。…(裏切られた恋の)相手がなくなり、ただ一人になってしまうと、狂気の恋心は、空虚な錯乱のなかで自分を追い求める結果になる。それは、みずからの狂暴さに自分をゆだねすぎた情念にたいする懲罰であろうか。おそらくそうだろうが、この罰は慰藉でもあり、埋められることのない相手の不在にたいして、想像上の存在をつくって広くあわれみをかけ、逆説的な無邪気な喜びや英雄趣味の気違いじみた探索を通して、姿を消している相手の形を、ふたたび見いだす。…彼ら(このタイプの狂気を描いたシェイクスピア、セルバンテスら)は…批判的で倫理的な〈非理性〉経験の証人であるよりも、やはり依然として、十五世紀に生まれた悲劇的な〈狂気〉の証人であるに違いない。時代をこえて彼らは消滅しつつある。…ところが彼らの作品および作品が維持しているものを、彼らの同時代人や模倣者たちの場合に生み出されている狂気の意義と比較照合することによってこそ、この十七世紀初頭に文学の狂気経験のなかで進行している事柄が解読されうるだろう。(p.54)
--出典: 狂気の歴史―古典主義時代における
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