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いうまでもなくシャーロック・ホームズシリーズのうちの『バスカヴィル家の犬』を扱っている。おれはホームズものを一冊も読んだことがない。アニメや映画になってもいるが、ほかのメディアでも見たことがなく、このあいだロバート・ダウニー・Jr主演の映画を見たのがはじめてだった。 しかしホームズを知らなくても読める。すべてネタバレしてしまうから。四部構成で、捜査、再捜査、幻想性、現実という順番で進んでいく。 「捜査」で『バスカヴィル家の犬』のあらすじと、犯人も明かしてしまう。そして小説で犯人だとされた人物は実は犯人ではなく、真犯人は別にいるという。バイヤールはこの疑り深い批評を「推理批評」とよんで、「再捜査」においてこの批評の方法を説明しつついかにワトスンの記述やホームズの捜査が誤りであるかを分析していく。作者コナン・ドイルについては一切触れないので、これは作者は完全に無視するつもりなのかと思ったら、「幻想性」のところまできてやっとドイルの話になり、ホームズものを読んだことがないおれでも知っている、有名な「ホームズの死」についても書かれている。出版社やドイルがファンから脅迫じみた手紙を送られたことや、街中で急に泣き叫ぶものがいたなど、ファンの異常な心理状態について説明している(バイヤールは精神分析家でもあるらしい)。ここまで熱狂的なファンの心理は理解しがたいかもしれないが……というふうにバイヤールはいうが、日本ではむしろよく知られたことである。 おもしろいのは、トマス・パヴェルなる人物にならって、小説の登場人物を実在しないとみなす立場を「隔離主義」、想像上の人物を実在の人物とをはっきり区別することがいかに難しいかを述べてから、虚構と現実の交流の場(「中間的世界」と呼ばれている)を認める立場を「統合主義」と分類しているところだ。ここに細かいことは書かないけれど。 とにもかくにも最後の「現実」において、ついにバイヤールは真犯人を指摘する。最後は答え合わせのようなものなので、ちょっと緊張感が途切れてしまうところがあったし、「ひっぱりすぎ」ではないかとも感じたし、はっきりと別の犯人を指摘して謎の余地をまったく解消してしまうのはやはりどうなんだろうという根本的な疑問もわいてこないでもなかったが、『読んでいない本について堂々と語る方法』を読んでいると、これらの疑問も折込済みなのだろうという気がする。
いうまでもなくシャーロック・ホームズシリーズのうちの『バスカヴィル家の犬』を扱っている。おれはホームズものを一冊も読んだことがない。アニメや映画になってもいるが、ほかのメディアでも見たことがなく、このあいだロバート・ダウニー・Jr主演の映画を見たのがはじめてだった。
しかしホームズを知らなくても読める。すべてネタバレしてしまうから。四部構成で、捜査、再捜査、幻想性、現実という順番で進んでいく。
「捜査」で『バスカヴィル家の犬』のあらすじと、犯人も明かしてしまう。そして小説で犯人だとされた人物は実は犯人ではなく、真犯人は別にいるという。バイヤールはこの疑り深い批評を「推理批評」とよんで、「再捜査」においてこの批評の方法を説明しつついかにワトスンの記述やホームズの捜査が誤りであるかを分析していく。作者コナン・ドイルについては一切触れないので、これは作者は完全に無視するつもりなのかと思ったら、「幻想性」のところまできてやっとドイルの話になり、ホームズものを読んだことがないおれでも知っている、有名な「ホームズの死」についても書かれている。出版社やドイルがファンから脅迫じみた手紙を送られたことや、街中で急に泣き叫ぶものがいたなど、ファンの異常な心理状態について説明している(バイヤールは精神分析家でもあるらしい)。ここまで熱狂的なファンの心理は理解しがたいかもしれないが……というふうにバイヤールはいうが、日本ではむしろよく知られたことである。
おもしろいのは、トマス・パヴェルなる人物にならって、小説の登場人物を実在しないとみなす立場を「隔離主義」、想像上の人物を実在の人物とをはっきり区別することがいかに難しいかを述べてから、虚構と現実の交流の場(「中間的世界」と呼ばれている)を認める立場を「統合主義」と分類しているところだ。ここに細かいことは書かないけれど。
とにもかくにも最後の「現実」において、ついにバイヤールは真犯人を指摘する。最後は答え合わせのようなものなので、ちょっと緊張感が途切れてしまうところがあったし、「ひっぱりすぎ」ではないかとも感じたし、はっきりと別の犯人を指摘して謎の余地をまったく解消してしまうのはやはりどうなんだろうという根本的な疑問もわいてこないでもなかったが、『読んでいない本について堂々と語る方法』を読んでいると、これらの疑問も折込済みなのだろうという気がする。