Yasuda Hiroshi
ライブラリ 201 册 | 詳細レビュー 2 件 | 引用 0
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ダ・ヴィンチの右脳と左脳を科学する
評価 : (3.5点)
文化とは何か (松柏社叢書―言語科学の冒険)
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新版 文学とは何か―現代批評理論への招待
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イデオロギーとは何か (平凡社ライブラリー)
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アフター・セオリー―ポスト・モダニズムを超えて
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批評の機能―ポストモダンの地平
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指揮者ケンペを聴く
評価 :(未評価)

熱烈なケンペ・ファンが書いたものだけに、数々の録音が絶賛の嵐で、「ケンペってこんなに名盤多かったっけ?」と思ってしまうほど。個別のディスクの「感想」については異論も少なくないが、「好きな人にはそう聴こえるんだろう」ということで、特に否定するつもりはない。ただ、帯の文章にあるように「根拠なき『地味な指揮者』説を覆す」などといわれると、「『地味な指揮者』のどこがいけないの?」と言いたくなる。自分の好きなものが他人に認められないのは、確かに辛いことだ。特に著者のように、ケンペに陶酔しきっている人にとって、ケンペが「地味な指揮者」「没個性」「枯淡」とイメージされているのは耐え難いだろう。

しかし、そんなに他人の意見ばかり気にしていると、最後にはルサンチマン(怨恨)の感情しか残らなくなる。もっとも、ルサンチマンの上に立つのが「愛」だから、愛とルサンチマンは表裏一体でもあるが、それも度が過ぎると「ファシズム」に行き着いてしまう。実際、本書を読んでいくと、随所に「(この演奏には)『地味なドイツの指揮者』というイメージはない」「ケンペのライヴは録音とほとんど変わらない上質なもの。このあたりの正確さはカラヤンにも通じるかもしれない」「TESTAMENTによる丁寧な復刻CDを聴くと、ただ重く地味な演奏というわけではないことがわかってきた」といった感じで、「地味なイメージ」を覆そうと躍起になっているのが伺える(この業界で名盤の誉れ高いR・シュトラウスの管弦楽曲集について本書でこの論調が見られない、というよりこのEMI盤について言及そのものがないのは、その必要がないからなのだろうか)。

つまり――これは本書を読む前に認識しておいて欲しいのだが――本書で記されている「感想」は、帯に「自由で論理的で情感あふれる」とあるのとは裏腹に、厳密な意味で客観的な評価とは言い難いのだ。それは、熱烈なケンペ・ファンが書いたものだから当然ともいえるが、であれば、本書で散見(例えばブラームスやブルックナーの項)される「評論家の意見」に対する批判は、第三者にとっては殆どイミのないものだ。結局は水掛け論にしかならないし、客観を主観で断罪することは出来ない。その二つは、次元の違う評価基準だからだ。

本書を通読して感じたのは、筆者のケンペに対する強烈な愛情は微笑ましいと思えるものの、その情熱がいささか上滑りした印象だ。ここまで絶賛の嵐だと、正直、「結局ケンペなら何でも良いんじゃないか・・・」と、全ての評価が胡散臭く思えてくる。実際、著者の評価と照らしながら録音を聴くと、「そこまで言い切るのは言い過ぎじゃ・・・」「こりゃアバタもエクボだな」と辟易することも少なくなかった。もちろん、本書をケンペ・ファンによるケンペ・ファンのためのファンブック」と捉えるなら、それはそれで微笑ましい現象だ。しかし、ケンペの地味なイメージを覆そうという意図が先鋭化した結果なら、このポジショントークはちょっと華につきすぎる。いずれにせよ、そんなに他人の評価を気にする必要はなく、自分が好きで聴いているのなら、それでいいのではないだろうか。

私だって、ハイティンクやシャイーを地味だとは全く思わないが、そのレッテルを覆そうなどという気は毛頭起こらないし、ヒコックスやブライデン・トムソン、ヴァーノン・ハンドリーの素晴らしさは自分さえ理解していればそれで良いと思っている。

最後になったが、巻末の作品別&録音順のディスコグラフィーは、正規盤にはない録音も掲載されており、ケンペファンならずとも必携だ。


図解 よくわかる行動経済学―「不合理行動」とのつきあい方
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いかにして問題をとくか
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映画表現の教科書  ─名シーンに学ぶ決定的テクニック100
評価 :(未評価)

著者曰く「脚本家のための映像表現(演出)テクニック」を解説した教科書とのこと。画面のレイアウトや編集技術、カメラワークなど映像演出の技法100種を、『市民ケーン』や『パルプ・フィクション』など、実際に公開された映画の脚本を元に説明。映画の演出法は、ほとんどがサイレント時代に開発されたものだ。それは、台詞や音楽に頼らず、映像のみで観客にスクリーンで起きていることを分かってもらわなければならなかった時代であった。サイレントからトーキーに、モノクロからカラーに、そしてVFXによって「そこ」に存在しないものまでスクリーンに映し出すことが可能となった現在になっても、その基本姿勢は変わらない。むしろ、映画で語るべきことがさらに複雑化した現在こそ、「映像で語る」ことが重要になったともいえる。なぜなら、「百聞は一見にしかず」という諺があるように、何十という台詞やナレーションの集積より、巧みに演出された1カットや、考え抜かれた1シーンで示す方が説得力も強いからだ。なによりも、映画というメディアの発展は、映像表現の進化そのものなのであるから。本書が、「脚本家のための」映像表現の教科書であることが、何よりもそのことを物語っている。映像作家が1カット、1シーンに込めた思いを漏れなく汲み取るためにも、映画を見る者も、本書で紹介された映像テクニックを理解しておくことが重要ではないだろうか。


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