現代思想のパフォーマンス (光文社新書)

わたしたちは商取引において、特に深い考えもなく「経済的価値」ということばを用い、そのようなものがあたかも物品やサービスのうちに内在しているかのように考えているけれど、「経済的価値」はその「もの」のうちに自在するのではなく、「交易が起動し、継続している」という事実の効果にほかならないのである。(p.247)
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交易を動機づけるのは、交換されたものの等価性でもないし、不等価性でもない。おそらくは交換されたものの計量不可能性なのである。(p.246)
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コミュニケーションのほんとうの目的は、ことばの贈与と返礼を通じて「共同体を立ちあげる」ことにある(p.274)
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コミュニケーションの本義は、有用な情報を交換することにあるのではなく、メッセージの交換を成立させることによって「ここにはコミュニケーションをなしうる二人の人間が向きあって共存している」という事実を確認し合うことにある(p.264)
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経済、言語、婚姻の三つの水準でおこなわれている交換システムを貫通する原理を一言で言えば、こうまとめることができる。
ひとつの出来事が成り立つためには、単一の産出者ではなく、二者の協働が必要である。
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わたしたちが「自然」で内発的だと信じている親族の親族感情は、それぞれの手段をシステム化するための「on/off」スイッチの役目を果たしているのである。これが音韻論に触発されたレヴィ=ストロースの結論である。
これは衝撃的な知見である。これまでわたしたちは、人間が社会構造をつくりあげてきたと考えてきた。しかし、レヴィ=ストロースはそれを否定したからである。社会構造が「人間」という概念をつくり出してきたのであり、わたしたちが「人間性」と呼び慣わしているものが、本質的に社会システムの要請する機能にほかならないと告げたからである。p.239
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人間学があきらからにしたことのひとつは、ある親族名称を持つ者が他の親族名称を持つ者に対してどういう態度を取るべきかの決まりは、社会によってちがうということである。父親と息子が親しみ合うことが義務づけられている集団もあれば、子どもは親の前で息をひそめて怯えていなければならないと定めている集団もある。〈中略〉つまり、親族間の態度というのは、人間の内部の感情が自然に発露した結果ではなく、社会的に規定された役割演技だということである。
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