妊娠と出産の人類学―リプロダクションを問い直す

著者
出版者
世界思想社
価格
¥2,592
生理的なプロセスになぜ医療行為を積み上げるのかと言えば、答えはむしろ逆であろう。出産が生理的なプロセスだからこそ医療介入によって医学の文脈にのせようとするのであり、そうすることで出産を医学的な経験へと作り替えることができるのである。医療は、現代社会の中で非常に大きな力をもつ文化と言える。それは、クナにとってコスモロジーが大きな力を持っていたように、現代人にとっては真実なのである。自然なプロセスがそれぞれの文化によって加工されるとき、現代社会の出産は医学の文脈で形作られ加工されることになる。それが可能になるのは、出産はどのような形にもなりうる自然(生理)のプロセスだからであり、文脈によって自由に形を変えうるものだからであろう。
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しかし、すべてがことばに置き換えられるわけではなく、身体はときといsてことばにならない痛みや予想を超えた難産を経験することがある。シャーマンのことばは、そのような体験にことばを与え、受け入れがたい苦痛を受け入れられるようにするのである。そして、それが意味を持つのは、シャーマンの語るムウの道や魂を取り戻す物語が、クナの人々にとって真実とされているからであり、人々に共有されているからだ。こんなふうに、レヴィ=ストロースは出産が人々の信念に支えられていること、それを利用して物語が難産を救う力をもつのだと述べている。

出産がその文化のコスモロジー(世界観)と密接に関わっていることは、現代日本でも同様だ。…それが神への信仰か医学への信仰かの違いはあっても、人々の世界観に基づいている点で同じである。誕生や死という特別のできごとには、その文化の世界観が大きく表れることや、それらの世界観が必ずしも合理的なものでなくても、人々の行動や経験を左右する力があることが、このクナの例から明らかになる。
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現代人にとっては荒唐無稽に見えるムウの道や失われた魂、斑点のあるワニの物語が、なぜクナの女性にとって、身体の器官の反応を引き起こすまでにリアルなものと感じられるのだろうか。それは、レヴィ=ストロースによれば、その物語がクナの女性にとって真実だからである。…それはちょうど現代日本の女性が出産を医学のことば、たとえば子宮口が全開大になったとか、陣痛が微弱であるとか、赤ん坊の旋回に異常があるなどのことばで理解しているのに等しい。…このように、出産はそれを理解することばや概念、それらを生み出す世界観の中で成立し、女性はそのようなことばを用いて自らの出産を経験している。ことばを離れて自分の体験を認識することは不可能であり、ことばや概念が出産を形作ることになる。
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