出産前後の環境―からだ・文化・近代医療 (講座 人間と環境)

著者
出版者
昭和堂
価格
¥2,625
松岡:自己決定権というときに、現実的には残された選択肢のなかから選んでいることが多いと思うんです。子どもを産むについても、じっさいにはいろんな社会的な制約のなかで、ある選択肢を採用し、それは選ばざるを得なかったのに自己決定と言わされる。文化というのはかなりの抑圧装置だから、あるひとつの選択肢の方向だけを示してしまう画一性とか方向性を持っているでしょう。だから文化や電動が枠としてあるところは選択肢が少なくて、わたしたちのような社会はテクノロジーも含めて実は選択肢はたくさんあるのかな、という気もしますね。
甲斐:選択肢があるという情報を充分知らない人が多いんです。現実はあるのに、それらがどういう意味を持っていて、「こうすればこうなる」と正しく伝達するものがないので右往左往する。ちょっとした関連雑誌が出れば、それが本当かなあと思ったりするんですね。
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永山:…自己決定できる環境が整っていないのです。また、技術が進歩すればするほど細かいことがわかってしまうことで、あるがままの姿を受け入れる社会をつくらないと、逆にいえば、産んだときに周囲から「わかっていながらなぜ産んだ」と非難される。
甲斐:日本では真の自己決定はできにくい。自分が選択したら、周囲からどう言われるかという不安ばかりが先立つようですね。
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柘植:…ではなぜ「自然」出産を求めるかというと、自然がいいものという、ひとつの価値観というか、イデオロギー性があると思うんですね。
秋道:何でも自然がいいという価値観がある。例えば無農薬のものだったら病気にならないとか。出産においては自然は母体にいいのか、子どもにいいのか、どちらなんですか。
柘植:わたしが言いたいのは。自然ということについて人それぞれに、自分の生活または都合に合うように定義づけているということです。

秋道:原自然なんてありえないと思いますが、自然というのは文明化されて医療化されたものにたいするひとつのアンチテーゼみたいなもので、何かそこに置いておかないと、不安だというものを確保してある。
田中:かなり技術的に、この日に産みたい、あるいはこの日に産ませたいという事情で、薬の投与とかホルモンのコントロールができますよね。そういうことが行われるようになって自然出産という言葉が出てきたのか、もっと以前からか…。
松岡:…70年代あたりから非常に機械化されて薬も使ったおさんが出てきて、それにたいするアンチでテーゼとしての意味もあると思いますね。
秋道:化学肥料農業にたいする有機農業みたいなものですね(笑い)。
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