リスクにあなたは騙される―「恐怖」を操る論理

評価・詳細レビュー

(5.0点)
個人的に ― 職務としてではなく ― 行われるリスク評価があまりにも杜撰であることに警鐘を鳴らす一冊。よく分からないもの、危うさをイメージしやすいもの、非難する相手がいるものほどリスクが大きいと感じる、という特性を前半で、後半は具体的な例が並んでいる。

911 テロの後に、飛行機によるテロ被害を避けて、わざわざ年間死亡者数が明らかに多い自動車に乗る人が増えたことの、非合理性を指摘しているところから話が始まります。311 以降の日本の原 (r

一方、馴染んでいるとリスクが小さいように見える、という裏(逆、裏、待遇の裏)の論理も確からしい傾向があり、私は原子力に馴染んでいるがために、リスクを過小評価する傾向があると思います。と、具体的な例をたったひとつだけ挙げて「あー、ありがちー」と思ってしまうなど。

本書では、おそらくは分かりやすさのために、リスクが実現したときの大きさを死亡や被害にあう人数で表していることが多いですが、それに惑わされずに読んでもらいたいです。別の数字を「正義」を代表する軸においたとしても、日常的にわれわれが下すリスク評価は非常に杜撰であることには、変わりありません。

参考になった人:0人   参考になった

引用

ラドンはある種の岩や土の中で自然に生み出される。ラドンがもたらす死は人気のない場所でひっそりと起き、誰にも責任がかからない。だから「腹」はやり過ごす。ポール・スロヅィックの調査では、核廃棄物の廃棄場のような放射能源について考えると恐ろしさのあまり膝が震える人が、ラドン ― 間違いなく、核廃棄物によってこれまで亡くなった人より多くの人がラドンによって亡くなっている ― を、非常にリスクが小さいと評価した。自然は人を殺すが、自然に罪はない。火山にこぶしを振り回して怒る人はいない。熱波を責め立てる人はいない。そして、激しい怒りが存在しないため、自然によるリスクは人工のリスクに比べて脅成がずっと小さく感じられるのである。
お気に入りにいれた人:0人   お気に入りに追加する

「たとえ一人でも救われるならそれは価値がある」という語句は、リスクを減らすために考案された新しい計画や規制に関してよく耳にするものである。それは本当かもしれないし、そうでないかもしれない。たとえば、その計画が一億ドルかかり一人だけ救うなら、ほぽ間違いなく価値がない。なぜなら、一億ドル使って二人以上確実に救う方法はほかにたくさんあるからである。
お気に入りにいれた人:0人   お気に入りに追加する

つまり、実例を容易に思いつくことができればできるほど、より一般的であると判断する。注意しなくてはならないのは、「腹」の直感的判断に影響を与えるのが実例そのものではないということだ。思いつく実例の数でもない。いかに容易に思いつくかである。
お気に入りにいれた人:0人   お気に入りに追加する

ウィッシュリストへ追加
非公開
タグ

メモ


ライブラリへ追加
非公開
評価
 
読書ステータス
つぶやく
タグ

メモ


タグを入れることで、書籍管理ページで、タグ毎に書籍を表示することが出来るようになります。
また、スペース区切りで入力することで1つの書籍に複数のタグをつけることもできます。

※注意: このタグはあなたの管理用だけでなく、書籍自体のタグとしても登録されます。あなた以外の人に見られても問題ないタグをつけてください。
ウィッシュリストからライブラリへ移動
評価
 
読書ステータス
つぶやく