鈴木先生(11) (アクションコミックス)

演劇指導で教わったよ…

一見クールでものを良く見ていると自分でも誤解しがちな虚無主義は…
自分の気に入ったそれっぽい他人の文言を神聖視して…
ものごとの一面しか見ず…
そんな自分の体験と実感を絶対視して葛藤から逃れているということでは
楽観主義者と同じ「盲信」と「思い込み」の住人に過ぎないって…

何事も鵜呑みは危険だし…
何に対しても疑いの目を向ける「留保」の心は大切だけど──
「そんなことあるはずない」って
感情レベルで不信感の奴隷に成り下がってしまったら
それはそれでやっぱり「盲信」になってしまう

常に葛藤しているだけでも
やっぱり経験は偏ってしまう!

だから…時には
いったん疑いを完全に捨て去るテクニックも必要だって…

なぜなら迷いを捨てて
一心に打ち込まなければ開かない扉も存在するから

そしたらね…
ある子が先生に言ったんだ…
「先生…演劇って実際(リアル)の人生よりめんどくさくて難しいんだね」って…

そしたら先生こう言ったの…
演劇で要求される面倒で困難なことの多くは…実は
実人生でも本来要求されていることなんだって

実人生の多くが
芝居よりたいがい面白くないのは──

実人生が芝居より面白くないものだからじゃなくて──
たいていの実人生が「つまらない芝居」と同じく
出演者やスタッフたちの工夫や努力…
熱意や研鑽が足りないか 的をはずしているからに過ぎないのかもしれない…

(『鈴木先生』第11巻 小川蘇美のセリフより)
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「中学の生徒たちに一教師という立場で語る」という著しい言語的制約を課した上で、言葉の力をこれほどに信じて進められていく物語は希有であろう、という点だ。本編の主人公・鈴木先生が子供たちに訴えつづけているのは、知ることではなく、自ら考えることの大切さである。
そして一人一人が考え、さらには互いの考えをぶつけあうことで、年齢、性別を超えて、いついかなるときであってもそこに神経を集中させねばならぬ、「自分とは本当は何者であるのか?」という唯一無二の命題に誰もが立ち向かっていけるようになる──作者の武富氏は本作を通して繰り返しそう語っているように思える。(解説:白石一文より抜粋)
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