おとなの教養―私たちはどこから来て、どこへ行くのか? (NHK出版新書 431)

著者
出版者
NHK出版
価格
¥842
(鎌倉時代に浄土宗を厳しく批判した)日蓮はそうではなくて、法華経という教えこそがもっともすばらしいんだと説きました。日蓮宗の「南無妙法蓮華経」の「妙法」とは、「大変すばらしい」ということで、「妙法蓮華経」は法華経の正式な題目です。だから「すばらしい法華経に帰依します」が「南無妙法蓮華経」ということになります。
お気に入りにいれた人:0人   お気に入りに追加する
浄土宗は「南無阿弥陀仏」と唱えます。「南無」は「帰依します(服従し、すがります)」という意味。阿弥陀仏さまにすがっていれば、浄土に行ける。「阿弥陀仏さまに帰依します」が「南無阿弥陀仏」ということですね。
お気に入りにいれた人:0人   お気に入りに追加する
初期のキリスト教においては、十字架はシンボルとして使われていません。魚の絵がシンボルでした。(略)また、イエス、キリスト、神の子、救世主の頭文字を並べると、ギリシャ語では「魚」という意味になるー
お気に入りにいれた人:0人   お気に入りに追加する
最近よく言われるのは、「アジア太平洋戦争」というネーミングです。これが現時点で言うと、もっともイデオロギー色のない呼び方と言えるのではないでしょうか。
お気に入りにいれた人:0人   お気に入りに追加する
そもそも世界史という科目は、ヨーロッパ中心の歴史としてつくられてきた経緯があるからです。たとえばヨーロッパの高校に行くと、「歴史」という科目しかありません。「日本には世界史と日本史があります」と言うと、ヨーロッパの人は「なぜ二つもあるんだ?」とビックリします。
お気に入りにいれた人:0人   お気に入りに追加する
ちなみに、母国語とは、その人の国籍のある国の言葉。母語とは、生まれて最初に身につけた言葉です。
お気に入りにいれた人:0人   お気に入りに追加する
ユダヤ教とキリスト教の違いは、二つの宗教の広がり方とも関係しています。ユダヤ教徒は、あくまでユダヤ人だけが救われるという民族宗教なので、世界中には広がりませんでした。それに対してキリスト教は、すべての人が信じれば救われるということですから、場所や民族を問わずどんどん広がっていくわけです。(略)このように世界中に信者が増えていく宗教のことを世界宗教といいます。
お気に入りにいれた人:0人   お気に入りに追加する
各地の自然条件によって、いろいろなタイプの宗教が生まれてきたわけです。
お気に入りにいれた人:0人   お気に入りに追加する
一神教であれ多神教であれ、世界のいずこに行っても、人間の理解を超える超自然的な存在への畏怖の念を持つ人たちがいるのです。これが宗教というものでしょう。
お気に入りにいれた人:0人   お気に入りに追加する
たとえばユダヤ教、キリスト教、あるいはイスラム教という一神教は、砂漠から生まれた宗教です。
お気に入りにいれた人:0人   お気に入りに追加する
いったいなぜ、こんな恐ろしいことが起きるのか。古代の人びとは、そこに人知を超えた存在を思い描きました。それが神であり、恐ろしい自然現象は神の怒りだと理解したのです。
お気に入りにいれた人:0人   お気に入りに追加する
歴史は時代の勝ち組によってつくられてきたという側面があります。
お気に入りにいれた人:0人   お気に入りに追加する
現在の日本史の教科書を読むと、「聖徳太子」という言葉は消えつつあります。厩戸皇子(うまやどのおうじ)という言葉になり、肖像画もありません。(略)さらに聖徳太子という存在自体が、実はいなかったという説も出てきて(略)
お気に入りにいれた人:0人   お気に入りに追加する
現在、人類は20万年前にアフリカで誕生したということもわかってきています(年代については諸説あります)。
お気に入りにいれた人:0人   お気に入りに追加する
では、世界はどういう仕組みで動いているのだろうか。空を見ていると、星が動いています。太陽は東から昇り、西に沈んでいきます。月には満ち欠けがあります。こういう規則正しい動き方は、神さまが定めたに違いない。では、神の論理とはどのようなものなのだろうかと考えていくところから、実は科学というものが生まれたのです。
お気に入りにいれた人:0人   お気に入りに追加する
「自分自身を知る」ことこそが現代の教養だろうと私は思います。自分はどこから来て、どこに行こうとしているのか。この場合の「自分」とは、文字通りの自分のことでもあるし、日本人あるいは人類のことでもあります。
お気に入りにいれた人:0人   お気に入りに追加する
(アメリカでは)すぐに役に立つことは、世の中に出て、すぐ役に立たなくなる。すぐには役に立たないことが、長い目で見ると、役に立つ。こういう考え方なのです。
お気に入りにいれた人:0人   お気に入りに追加する
経済学は世の中の仕組みを分析する上で必要な知識である。つまり、人間の教養として必要だから学ぶ。でも経営学は、会社に就職をして働く上で役に立つ学問だから、すぐに役に立ちすぎるので大学では教えない。(略)現代の教養として経済学を学ぶけれど、本当に経営を学びたかったら、大学卒業後、ビジネススクールに行けばいい。こういうことなのです。
お気に入りにいれた人:0人   お気に入りに追加する
マサチューセッツ工科大学の先生がこう言いました。「(略)最先端の科学をいくら教えても、世の中に出て行くと、世の中の進歩は速いものだから、だいたい四年で陳腐化してしまう。そうするとまた勉強し直さなければいけない。そんな四年で古くなるようなものを大学で教えてもしようがない。そうではなく、社会に出て新しいものが出てきても、それを吸収し、あるいは自分で新しいものを作り出していく、そういうスキルを大学で教えるべきでしょう」
お気に入りにいれた人:0人   お気に入りに追加する
リベラルアーツの「リベラル(liberal)は自由、「アーツ(arts)は技術、学問、芸術を意味します。だからリベラルアーツの意味は「人を自由にする学問」ということです。
お気に入りにいれた人:0人   お気に入りに追加する
宗教に関する基本的な知識も教養として考えられるものです。それがすっぽり抜けてしまうと、第二、第三のオウム真理教が登場しないとは限らない。
お気に入りにいれた人:0人   お気に入りに追加する
当時の文部省は、教育の自由化を進めることを目的として、1991年に「大学設置基準の大網化」という方針を打ち出しました。「大網化」とはざっくり言えば、自由に任せるということです。つまり、大学設置基準を大網化するということは、大学の設置基準を緩めるということになります。
お気に入りにいれた人:0人   お気に入りに追加する
日本というのは、文科系と理科系がはっきり分かれてしまっていることを痛感しました。理科系の専門家の人たちは、テレビを見ている世の中の文科系の人たちが、何がわからないということが、わからなくなってしまっている。そういう理科系の人たちの、非常に視野の狭い専門性にも問題があります。
お気に入りにいれた人:0人   お気に入りに追加する
人間とは不思議なもので、何が危険なのかとか、何に注意しなければいけないのかということがわかれば、それなりの心の準備もできるのですが、何がなんだかわからないと、不安な状態に追い込まれるのです。
お気に入りにいれた人:0人   お気に入りに追加する
ウィッシュリストへ追加
非公開
タグ

メモ


ライブラリへ追加
非公開
評価
 
読書ステータス
つぶやく
タグ

メモ


タグを入れることで、書籍管理ページで、タグ毎に書籍を表示することが出来るようになります。
また、スペース区切りで入力することで1つの書籍に複数のタグをつけることもできます。

※注意: このタグはあなたの管理用だけでなく、書籍自体のタグとしても登録されます。あなた以外の人に見られても問題ないタグをつけてください。
ウィッシュリストからライブラリへ移動
評価
 
読書ステータス
つぶやく