Kenichi Sugawara
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一行紹介

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この世界の片隅に(後編) (アクションコミックス)
評価 : (4.0点)

同僚の奨めで購入。
ジャーナリスト級の緻密な取材と独特のタッチで
戦時中の庶民生活を描く。

神風を宿命づけられた息子を涙ながらに送り出したり、
大政翼賛の真っただ中、抹殺を恐れず孤独に反戦を声高に叫んだり、
なんか、そういう劇的なドラマばかりが戦時中は起こっていた、のではなく。
本作で描かれているような、ごく普通の、何気ない日常のほうが圧倒的大部分だったのだと、
今さらながら気づく。

政治家や天皇や兵隊や進駐軍が注目されるけど、
むしろ、こうした一般庶民の、無自覚だけど無垢で嫋やかな生活に対する恒常性のほうが、
僕らの生きる現代社会の礎となってきたんだなぁって思いを馳せると、劇的なドラマ以上に涙腺が緩む。

「戦争」ということばのもつ途轍もない非日常性は時に、
僕らがコンテンポラリーな日常を想像することを阻害することがあるのかも、と感じた。

ところで、テレビドラマは見てないけど、すず役は北川恵子だとか。
むむむ。そう?蒼井優じゃない?


この世界の片隅に(前編) (アクションコミックス)
評価 : (4.0点)

(後編)で。


下山事件(シモヤマ・ケース) (新潮文庫)
評価 : (3.0点)

進んだり、立ち止まったり、惑ったり、振り返ったり。
相変わらずのモリタツ節が随所に詰まった作品。

戦後最大のミステリーと謳われる、国鉄の初代総裁・下山定則が
轢死体となって発見された「下山事件」の真相を追う。

同時並行で森自身が登場人物となって、
この「下山事件を追わないか」と企画持ちかけた「彼」とのやり取りや
メディアに売り込んだり裏切られたり裏切ったり、取材対象者を欺いたり、
森を頼って上京してきたNHKのディレクターをいきなり被写体にして
下山ドキュメント映画を撮りはじめたりと、あっち行ったりこっち来たりする。

本筋の事件の真相を追う物語は、正直、登場人物が多すぎて分かりづらい。
この事件をとりまく歴史とダブらせる効果も狙っている気がするが、
モリタツにしてはちょっと整理されていない印象。

たぶん、この人と一緒に仕事をするのは大変だろうなぁってちょっと思った。


死と生きる―獄中哲学対話
評価 : (5.0点)

一気に読みきった。
言葉の怒涛と応酬は常軌をあからさまに逸脱している。

哲学者・池田晶子と死刑囚・陸田 真志の手紙のやり取りが書籍になったもの。

拘置所のなかで、哲学的思索を続ける陸田氏。
思索は時に、思索事態の普遍化を誘発し、その延長線上に殺人の許容へ至る場合がある。
なぜなら、死それ自体は不幸ではない、とすることができるから。

池田氏はそれを断罪する。
殺人犯であり死刑囚である陸田にしか書けない思索がある、
たどり着けない真理があると。

人を殺すということはどういうことか、その考えを書けと。
ドストエフスキーのような天才が「罪と罰」で想像で描いた、
その殺人という行為を実行に移した殺人犯・死刑囚にしか書けない、
そこを考えて表現せよと、愛をもって糾弾する。

圧巻の書籍。


死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う
評価 : (5.0点)

貪りつくように一気に読みきった本。
相当面白い。

タイトルから想像に難くない、死刑は廃止か、存置かを
徹底した体面取材を通して著者が輪郭付けいく作品。

冒頭、著者は語る。
「(死の)同心円の周縁には、罪と罰、加虐や報復、贖罪や暴力、怨嗟や憎悪、哀切や悲嘆などの要素が並び、
そしてこの中心に「死」がぽっかりと、虚無の深い口を開けている」

とにかく取材を続けながら森氏は揺れる。立ち止まる。絶句する。
その繰り返しだ。ある種の弱々しさが浮き出てくる。
でもそれは、森氏が常に一人称単数で考え進んでいるから。
決して複数で一般化することしない氏の強さでもある。

森氏は中立ではない。公平でもない。
表現者である以上、揺れや対象者との距離感も含めて、
恣意的に表現をしている。

その上で、死刑は廃止か、存置かに是非を問うことに大きな意味はない。
貪るように頁を繰るというその忘我にこそ意味がある。

俺はあっちに行ったりこっちに行ったりして、こう考えた。
お前はどうだった?

森氏は煩悶しながらも問いかけてくる。
私やあなたという一人称単数が考えるという行為を強いる。
表層的な一般論を口にすることは無意味、と無言で投げかけてくる。


弟を殺した彼と、僕。
評価 : (5.0点)

ハッキリ言って、文章力は拙いし、たどたどしく、筆致も未熟。
構成はまだしも、ほとんどが作文の域を出ない力量である。
それでもなお、この書籍の伝える内容はあまりに生々しい。

著者は弟を殺害した犯人を心底憎悪する。
実際、殺人事件の被害者遺族となったことで、数多の不幸が彼を襲う。
容赦ないマスコミ取材や事故として支払われた保険の返還騒動、
それを返すためにサラ金への借金、逃避行動としてキャバクラ通い、また借金などなど。

まっさらの自分と強制的に対峙させられた彼は、
その過程の中で、加害者の極刑を望まなくなる。

その心性は、正直、理解しがたい。

矛盾に満ち満ちた、論理的に破綻を来たしている、彼のその心情こそが、
本当の被害者感情なのだ。
加害者を極刑に処して収まる程度の感情ではない。

何度も何度も出てくる「わからない」「しらない」ということばは、
徹底した一人称単数のときのみ、現出しうることばだと思う。


ドキュメント死刑囚 (ちくま新書)
評価 : (3.0点)

宮崎勤、小林薫、宅間守ら3名の死刑囚とのやり取りを中心に構成されたノンフィクション。
著者は雑誌「創」の編集長で、3名とのやり取りはいずれも本誌で企画化されたもの。

3名の、常軌を逸した異常な語り口から、人間くさい成長が垣間見られる。
書簡を中心に丁寧に構成されているので、生々しさが訴えかける。

ただ、ノンフィクションとして事実に忠実に基づいているのは理解できるが、
著者が何を感じたのか、どう捉えたのか、結局、死刑についてはどうなのか、
といった主観的な論説が少なく、その点では若干物足りなさを感じるかも。


罪と罰〈3〉 (光文社古典新訳文庫)
評価 : (5.0点)

この小説にかかるには、たくさんのハードルが待ち構えています。

・「罪と罰」という何ともとっつきにくそうなタイトル。難しいんでしょ、どうせ。
・著者近影の写真は眉間にめっちゃ深い皺。難しいこと考えているんでしょ、どうせ。
・ドストエフスキーという著者の重厚な名前。「ド」が重いんだな、「ド」が。
・登場人物の一度では到底覚えきれない長ーい名前。アヴドーチャ・ロマーノヴナ・ラスコーリニコワって。
・読んだことないけど「ロシア文学」と言われるだけで感じる息苦しさ。革命とか。社会主義とか。
・てか、異様に長いし。

色々なハードルが待ち構えているように見えますが、基本的には新聞に連載された、ただの大衆小説です。
そして作者もただの阿呆です。思想に狂い、女に狂い、ギャンブルに狂い、借金にまみれます。
深い皺は借金問題です。たぶん。

読み慣れるまでには少し時間はかかるけど、慣れてくると、上の懸念はなくなります。
(特に長い名前は記号に見えてきます)
むしろ、そこが名著と言われる所以というか、時代感や国境感を超越してきます。
また、読者に色々な解釈を許す懐の広さもあります。

私が興味を引かれたテーマは「存在の規定」というところでしょうか。

生まれたばかりで誰からも祝される赤ちゃんに名付けるという愛に溢れる行為も、
極貧の生活から、家族を養うために娼婦に落ちぶれる様も、
打算から裕福な人と結婚をしようとする浅慮ながら苦渋に満ちた意志も、
その全ては、是非はともかく、存在の規定にほかなりません。
なにものかがそこに在る、ということの証左です。

その意味で、自身にとっては高邁でも、明らかに傲慢な殺人を犯し、
踏み越えられる存在になろうとしたたラスコーリニコフは、
その犯行が露見しない、ということによって、存在が無視されます。

嫉まれるにせよ、愛しがられるにせよ、そこでは存在は規定される。
だけど、内なる存在が自身のなかだけで孤立し、無視された状態は、
それは無いと同義。無こそ罰。
否、無に耐えてこそ、ナポレオン足りうるのだと思います。


最後に、この光文社の古典新訳シリーズ、良いと思います。
100~200年前くらいの古典を中心にラインナップしていますが、とても読みやすい。
最初に書いた、漠然と感じる抵抗感は捨ててかかっても、大丈夫だと思いますよ。


罪と罰〈2〉 (光文社古典新訳文庫)
評価 : (5.0点)

(3)で。


罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)
評価 : (5.0点)

(3)で。


ちいさな王子 (光文社古典新訳文庫)
評価 : (4.0点)

別名「星の王子さま」でお馴染みの名作。

いま、出会いと別れに至極敏感な時期だからなのか、
やけに感動した。

そぎ落とされ、洗練された文章で紡がれた物語が、
却って愛らしさと切なさを同時に謳う。

人は出会う。そして成長して別れる。
そこら辺に転がっているありきたりの日常が
実は奇蹟だったと気づかせてくれる。

素晴らしい作品でした。


街場のマンガ論
評価 : (5.0点)

こんなに私好みの本があっていいのだろうかという位、
寝食を忘れ読みふけった。
仕事しなかったもんなー、これ読んでたとき。ドラクエ以来だ。

一番印象的だったのが。

アメリカのアニメは、アメリカという国そのものを映し出しているということを例示しながら。
(超人的力量を手に入れた主人公が人知れず悪を倒すが、
いや、その行為自体が実は平和を壊しているのではと葛藤を抱えつつも、
最後はまた周囲の人の支えで悪を駆逐していく定型)

アニメはその国の姿を映すのではという仮説を構築。
「鉄人28号」と「日本」を論考した結果。

鉄人28号は在日米軍で操縦する正太郎君は憲法9条だ、と強く主張する論考に到達。
この人、やっぱりどこかおかしいと思ったのでした(笑)

マンガを入口に、得意の実に様々な論旨へ展開していく様は圧巻です。
大変面白い作品でした。


忘れられた日本人 (岩波文庫)
評価 : (5.0点)

数多の示唆に富んだ、名著と呼ぶに相応しい傑作。

同書は基本的には老人への聞き書きで構成されている。
エリアは主として西日本。瀬戸内海周縁が多いだろうか。

こういう言い方もナンだが、名もない、その辺に村に住む老人の生涯を
とても丁寧に聞き取ることで、その時代の習俗が鮮やかに甦る。
殊、印象深かったのが、唄とセックスの風俗。

明治から昭和初期にかけての男女の固定観念としての貞操感を覆す。
そのセックスについてまわる唄の巧拙と女を落とす関係。
この辺は、習俗の記録として、非常に価値ある記述と思う。

だが、何よりも全体を通じて記録されているのは、無字文化の伝承。
ここに登場する老人の大部分が文字を読めないし書けない。
つまり、著者が老人のもとを訪ね、その話を書き取らねば、
ここに書かれた全てが絶たれてしまう。

その意味で、忘れられた日本人、とのタイトルに一層の重みが増す。
有字だけでなく、大部分のこうした無字文化の堆積によって、
僕らの生活は成り立っているのだと感慨深くなる。


銃・病原菌・鉄 上下巻セット
評価 : (4.0点)

「なぜ世界はかくも不均衡なのか?」という、
恐ろしく大きなテーマに、13,000年という壮大な歴史時間軸から、
丹念に歴史を紐解いていきながら考想する。

例えば・・・。

すべての人類は原初、狩猟採集民で生きていた。

それが、周囲の自生植物・動物を栽培化・家畜化することに気づき、
狩猟採集よりも安定的に食料を手に入れることができるようになった。

獲物を探し歩かなくても済むようになると、定住生活がうまれた。

定住生活によって食料生産は安定的となり、生産効率も上がった。

すると食料生産従事者人口以上の人数を賄えることになる。
その結果、農業以外の専門職が生まれる。

・・・

などなど、ひとつひとつの理路を考古学的根拠を丁寧に提示しながら、
現世界がなぜこうなのかを考察していく。
さらにその論考は、生物学、農学、言語学、文化人類学など、
極めて多岐にわたる学問領域を横断的に展開されており、壮大と呼ぶに相応しい。

書籍の構成としては、ヤリという著者のニューギニア人の友人が彼に
「ヨーロッパは色々と作り出してニューギニアに持ち込んだ。
だけど、ニューギニア人は何も生み出せなかったのはなぜなんだ?」
という何気ない問いかけからスタートする。

現代社会に、国家間の不均衡が生じているのは紛れもない事実であり、
いわゆる後進国と呼ばれる地域の人種の生物学的劣等が、
現在の不均衡を生み出したという論調もあるそうだ。

著者は上のような丁寧な考察によってこれらの論説を真正面から否定する。
確かに本書の内容自体が「環境決定論」的ではあるが、友人への慈愛にも満ちていると感じた。

また同時に学術界のなかで、歴史学が不当に見下されている点にも言及している。
物理や生物、化学などの「科学」と比べたときに、不運な特徴を有する歴史学であるが、
それでも歴史を科学として捉えるとする論調は興味深い。
科学として「不可能であること」と「難しいこと」は違うと。

しかし、読了まで時間がかかった。
面白いのだけど、なかなか読み進められない。

ちなみに奇妙なタイトルの「銃・病原菌・鉄」は、
それぞれ、様々な歴史を決定づけた非常に重要な要因ではあるが、
これが全てではなく、タイトルとしてつけると何となく面白そうかなぁって
いう程度の感覚で付けられただけみたいです。


邪悪なものの鎮め方 (木星叢書)
評価 : (3.0点)

タイトルにもなっている「邪悪なもの」とは、
・常識や倫理観が無効になるくらい「どうしたらいいか分からない」
・しかも放っておくと厄災が起こる
と定義されている。

あー。確かに。
大人になってから、殊、30歳を越えたあたりから、つとに感じるなー。
そういう意味で、家庭や学校は極めて理知的だ。
世の中ほど、理不尽に、不条理に満ちた世界もないもんだ。

本作はそういった「邪悪なもの」への処し方が書かれてあるが、
大元には内田氏自身の純粋な知的好奇心が脈々と底流している。
ちょっとうがった見方をすれば、生の社会でさえ(だからこそ?)、
彼にとっては体系化・構造化のための観察地なのか、とも読み取れる。


海辺のカフカ (下) (新潮文庫)
評価 : (5.0点)

小説をはじめ、映画、音楽、アニメーション、漫才、落語、狂言、能・・・
およそ、あらゆる表現技法は、ことばの曖昧性を越えた何某かを伝えるべく、
そこに「型」として存在している。

その型の中で、多くの表現者達が何某かを伝えようと、
血反吐を吐きながら作品を仕上げ、それが堆積していく。
その堆積が新たな表現を呼び、また堆積する。
この永続的な繰り返しによって、「型」は少しずつ少しずつ、進化していく。

昨今、この表現技法同士の融合が数多く見られるようになっている。
小説を原作とした舞台、マンガを脚本化したドラマなど、
世の中のヒットメーカーたちは横断的な表現活動を展開し、
数多くの衆目を集めている。

「海辺のカフカ」は、残念ながら横断的な表現活動にはむかない。
よく知らないけど、たぶん映画やドラマなどの映像化はされていないだろうし、
舞台も一義的もしく一側面の再現にとどまっている気がする。

なぜか。

簡単に言えば、非常に多くの表現者達が長時間をかけて堆積する「型の進化」を
村上春樹はひとりで一足飛びで行なってしまったからだ。
その進化は、横断ではない。あくまで垂直。技法そのものを先鋭化する。幅ではなく、尖る。
他の技法が追いつかないほどの先鋭化されてしまう。
それゆえ、横断的表現には向かない、のだ。


例えば、100人が100年かけて行なう「型の進化」を
わずか1人で瞬く間に行なってしまう「作品」と「表現者」のことを
「傑作」と「天才」と呼ぶのなら、
「海辺のカフカ」は村上春樹という天才によって描かれた傑作であると言える。


海辺のカフカ (上) (新潮文庫)
評価 : (5.0点)

(下)で。


小さき者へ・生れ出ずる悩み (岩波文庫)
評価 : (4.0点)

表題となっている短編2作を収録。

◆小さき者へ
母親を喪った3人の息子たちへの書簡。
妻を失った悲嘆と子を思う慈愛が混在する力強さと儚さは、吐露に近い。
書簡の体裁は取っているものの、彼自身が文章にすることで、
妻の死、ひいては妻の死を受け止めきれない自分を、形象化しようと試みている。

◆生まれ出ずる悩み
芸術の才を持ちながらも、北海道の貧しい漁夫という宿命との
狭間で揺れ動く様を描く。

とにかく文章が圧倒的に美しい。
文章の発する意味はもとよりも、読むときのスピード、リズム、呼吸
漢字1文字助詞1文字が暗黙的に表現する風情に至るまで、
微細にわたって考え抜かれていると感じた。

これは編集者や読者、物語の世界観などを勘案したレベルではない。
2作品とも、身を削り、自己との対峙を自らに課した人間の文章。

久しぶりの「文学」に触れた気がします。


A3【エー・スリー】
評価 : (5.0点)

人は多くの場合、「みたい」ものをみるし、「みたい」けど「みえない」ものに焦がれる。
だけど森は「みたくない」し、「みえない」ものを凝視する。
それを見続けることで、予定調和でない、いまの延長でないものが浮かび上がることを知っているから。

視点やアングルを変えるのではなく、みたくないと思う、その本質を問うところに、ルポライター森の真骨頂があります。

映画「A」「A2」は映像でしか表現できないものだったけど、「A3」は絶対に文字でしか表現できない。
大したもんです。


「A」―マスコミが報道しなかったオウムの素顔 (角川文庫)
評価 : (4.0点)

映画を観てから読もうと思って、積読くこと約1年。
大型連休にようやく読み終わりました。

内容は基本的に映画の流れを踏襲しているので、副読本として読むと便利。
異なる点は、表現者・制作者である森達也自身が、映画よりも登場人物として前面に出てくるところ。
特にテレビの制作会社との契約解除から、意固地になりながらも、どこかテーマ性に魅かれ、
淡々と撮影を続けるあたりなどは、もうひとつのドキュメンタリーを見ているようでした。

興味深いのは、社会学者・宮台真司による巻末の解説付録。
以下、簡単に要約する。

***

現代社会システムのなかで、私たちいろいろなことを「体験」する。
その体験に解釈を与える作為を「体験加工」というそうだ。

世間ではこの体験加工の早い、即断即決型の人のことが「聡い」と思われている。
そうした視点からは森達也の「体験加工」は驚くほど遅く見える。
しかしこれは、体験加工を留保する、というあえてする不作為と宮台は論じる。

オウムがサリンをまいた、たくさんの死者が出た、という体験の一方で、
オウムは敵だ・社会は味方だと体験加工する前の、留保によって見えてくるものがある、という。

たとえば、かつて、現在では精神病に分類される振る舞いにも、
共同体のなかで、「狐憑き」や「シャーマン」の役割が与えられた。
しかし現在では、まず犯罪者同様に隔離され、治療対象と化される。

***

本文を読んで思うところはたくさんあったけれど、この解説がとりわけ興味深かった。
眼前の狂人の振る舞いに安易に解釈を与えない、体験加工しない社会の豊かさが見え隠れする。
だが、とはいえ、オウムは、という解釈もまた、人間らしい営みとも思う。


カラフル (文春文庫)
評価 : (3.0点)

14歳・中学3年生の男子の成長譚をちょっと特殊な設定で描く。
同作のアニメーション映画の宣伝CMを思い出して何となく買った本。

ちょっと深読みすれば「自己とは」というややこしい命題に辿り着きそうな気もするが、
恐らく著者はそれを望んでいない。
あくまでライトに、軽妙に、平凡な日常を、自分を、他人を、淡々と、だが暖かく描く。

森絵都の作品は2作目だが、良い意味でも悪い意味でも、
人間は詰まるところ、自分の体験したことをベースに文章を書くんだなぁ、とちょっと思った。
おっさんには抉り方が物足りない気がするけど、軽やかな文章に触れたい日もあるんで、
そんな時にはうってつけだと思います。


田村はまだか (光文社文庫)
評価 : (4.0点)

題名の通り、40歳になった面々がクラス会に間に合わなかった田村を三次会会場で待つ物語。

まず、会話で使う「 」を超越した表現技法が秀逸。
口から発せられることばは、その額面通りの意味以上に、余韻や風情、間や空気を伴い、
意味以上の意味を持つことが多い。
「 」という、もはや固定観念に近いルールにとらわれることなく、
その意味以上の意味を非常に巧みに表現している。

いまひとつは、個人を特定する「名前」の指し示すところの趣。
表題にもなっている田村はもちろん人の名前であるが、
名前の持つ記号的役割以外の使命を焙り出している。
難しく書くなら「自己とは」ということになろうかと思うが、
全然堅苦しくなくさらりと、それでいて生々しく描いている描写が美しい。

生々しく描かれている、軽くない空気感やそれぞれが抱えるどす黒さや情感が、決して不快でないのは、
僕がその齢に近づきつつあるからだろうか。

面白い作品でした。


エイジ (新潮文庫)
評価 : (4.0点)

同級生が無差別通り魔として捕まってしまった、男子中学生の秋から冬にかけての物語。

紙一重とでも言えようか、この年代こそが持ち得る狂気と現実の生乾き感や
他人事のように自分の人生を捉える年代感を見事に表現している。

常に、右も左も、前も後ろも、上も下も、コロコロと定まらない。
定まらないのではなく、定めない、のかもしれない。
それを定めたら、明らかに昨日とは違う自分になってしまうのを知っていて、
無駄と知っている無駄な遊戯をやらずにはいられないのかもしれない。

決して誇れる中学時代ではなかった自分のあの頃を思い出させてくれた。
そして、あれはあれで、よかった、とも自嘲気味だが思わせてくれた。

やはり、読むか。「ナイフ」。なんか怖いんだよなー。


疾走 下 (角川文庫)
評価 : (5.0点)

兄が犯した事件をきっかけに、中学生の主人公・シュウジを、
眼を耳を覆いたくなるような、苛烈な、残忍な、筆舌に尽くしがたい厄災が次々と襲う。

いまそこに在る、ということはどういうことなのか、という根源的な問いを
アイデンティティ形成期にある少年を取り巻く、あまりに惨い人生の物語を描くことで応えようとしている。

存在の認知は、他者の認知と同義、と思う。
そこに誰かいる、と認めることで、その認めている自分を認める。
そして、今日の存在が明日の存在とは異なるように、存在は流転する。
自分も他人も、須らく流転を続ける。

流転の周期は、取るに足らない些細なきっかけで、時に大きく乱れる。
乱れた周期が他の周期を乱し、他がまた他を乱す。干渉の連鎖が始まる。
流転の干渉は、優しさや慈しみや愛を生み出すと同時に、狂気を派生させる。

狂気によって周期は混乱を極め、他の流転を呑みこむ。殺める。

絶望的な罪を背負った狂気の流転は、
同心円状に膨張してきたことに気づき、中心へ収縮を望む。
逃げるのではなく、帰ろうという心性は、自分の起源への回帰。

その中心にあるのは、故郷、家族、神、愛、名前といった起源。
もしくは、掌に収まるほど小さな、流転の中にある流転。

ああ。狂気の流転は張子の見せかけにすぎない。
見せかけの流転が見せかけの流転に干渉する無為な営みに残された、
もしかしたら唯一の救いは、遺伝子を残すことではなく、
他の存在の中に永遠に刻まれること、なのかもしれない。


疾走 上 (角川文庫)
評価 :(未評価)

(下)でまとめて。


ナイフ (新潮文庫)
評価 : (4.0点)

表題作「ナイフ」を含む短中編作品集。
基本的には様々な視座からこれでもかという位、陰惨な「いじめ」を描く。

「ワニとハブとひょうたん池」は、女子のいじめをテーマに、
いじめる側といじめられる側の不毛な逆転連鎖なかで、
ある種、男らしく孤高を貫く女子主人公を描く。

表題作「ナイフ」は、3人の男の矜持と人知れぬ闘いを描く。

「キャッチボール日和」は親子という関係のなかで、
父から見れば子、子から見れば父、といった同質と思っていたが異質だった、
その現実を受け入れるプロセスを描く。

「エビスくん」は、複雑な愛情表現の中に生まれる男の友情を描く。
あとがきで明らかとなるが、著者の思い入れの深い作品。

「ビタースィート・ホーム」は、子供を挟み、親と教師の行き違い(もしくは行き過ぎ)を描く。


いつもながら、座りの悪さ、居心地の悪さ、後味の悪さを随所に散りばめながら進む。
この抉るような陰惨から、それでも眼を逸らせないのは、
著者がどこまでも性善説で、人を愛おしく見ているからだ、と気付く。


初恋 (新潮文庫)
評価 : (4.0点)

不思議な空気感の小説。

府中で起きた3億円事件の犯人が著者となって、
その自伝的小説というスタイルで物語は進む。

学生運動花盛りの時代感を背景に据えながら、
恋愛や家族や犯罪や贖罪や死がもつ独特の儚さから、
個人が個人でいるためのセピア色の苦悩が描かれている。

面白い、気がする。
こういうのは読んだことがない。
ちょっと狂気性は異なるけど、「肉体の悪魔」的な虚脱感を感じる。


人口論 (光文社古典新訳文庫)
評価 : (2.0点)

学問には、建設的な批判、が不可欠なのはよく分かる。
ただ、書籍の内容がゴドウィンをはじめ、何人かの研究者への徹底的な批判が大半を占める、というのはどうなんだろうか。

しかも論を締めくくるのが、神の妥当性。
そらぁ、神を引き合いに出せば何でも説明はつくだろう。
そのために誕生させたのが神なのだから。

鋭く鮮やかな考察も多数あっただけに、何となく残念。


人間を信じる (岩波現代文庫)
評価 : (3.0点)

岩波新書を立ち上げ、雑誌「世界」の初代編集長だった吉野源三郎の講演録、寄稿文、インタビュー等を再編集したもの。

60年代を中心に語られたことばなので、戦後日本という状況において、
終戦、安保、東大紛争など、同時代の主題に対して生きた論考を展開している。

内容的にはなかなかに難しい本。
が、そいった時代をこうして懸命に思考し、発信し、行動した先達がいたからこそ、今の僕が、僕らがいるんだなぁと思うと、何とか食らいつき理解しようという気になる。


考える技術・書く技術―問題解決力を伸ばすピラミッド原則
評価 : (4.0点)
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