nanigashi_K
ライブラリ 519 册 | 詳細レビュー 314 件 | 引用 1
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本の歴史 (「知の再発見」双書)
評価 : (3.0点)

 創元社のこのシリーズはなかなかよさげ。内容は詰め込みすぎず、要点をおさえてるって感じ。文章も読みづらくない。興味の入り口にいい。あと写真が多い。このシリーズはほかにも、まだ読んでないけど『文字の歴史』というのも一緒に買ってあるし、本屋で『魔女狩り』を立ち読みしたりした。
 このシリーズはどうもフランスの本の翻訳らしいんだけど、荒俣宏いわくフランス人というのは書物をきれいにデザインするのが好きらしい。これもほぼ全ページ写真(ふるい本やその表紙や挿絵など)がついている。ただ個人的なことだけど、だいたいが左端に本文、真ん中に写真、右端にその写真の解説というふうになっていて、文章がページをばらばらにまたぐところがあるのでそこがちょっと読みづらい。おれはこういうレイアウトになれていないから、気にならない人には気にならないどころかむしろこれでいいのだと思うかもしれないけど。


記号論 (1) (同時代ライブラリー (270))
評価 : (4.0点)

 難しいけどたぶんがんばれば読めるので、記号論を知らない人で知りたい人は読むといいけど絶版。ユーモアがある。ユーモアがあるというのは例を挙げるときなどのことで、雑談的な内容はまったくはさまれておらず、無駄なく理論的なことが書かれているということだ。だからあんまり一気には読めない。一日に五~十ページくらい。注も込みでだいたい250ページくらいだからそんなに量はないけどまだ読んでる。いま150ページを少しすぎたあたり。
 訳は『記号論への招待』の池上嘉彦で、解説も書いていてお得。でも絶版。
 二巻はこのあいだ神保町で手に入れた。うれしかった。


レトリックの記号論 (講談社学術文庫)
評価 : (3.0点)

 佐藤信夫の本では『レトリック感覚』と『レトリック認識』、この『レトリックの記号論』でレトリック三部作という感じで、これが一番専門的に見えるタイトルだけど、実はこれが一番専門的でない。まあおれは好きです。


少女地獄 (角川文庫)
評価 : (3.0点)

 おれも推理批評をちょっと試してみたいと思い、嘘をつき続ける少女(?)を書いたというこの短編を読んでみようということになった。これはしばらく前から持ってはいたが読んではいなかったのである。
 面倒くさくなったのもあって推理は実践には至らなかったが、とにかく小説は面白かった。読むときには知らなかったが、『少女地獄』というのは「何んでも無い」「殺人リレー」「火星の女」という三本の書簡体小説がひとつに入れられている。嘘をつき続ける少女というのはこの「何んでも無い」という話で、ページで区切りもせずに「殺人リレー」という小題(小題なのかもはじめはよくわからなかった)をつけてそのままったく関係ない名前と関係ない話がはじまるので面食らってしまった。とくに『ドグラ・マグラ』を読んでいると、関係ないようで関係あるのではないか、どこかで戻るのではないかという期待(?)でもってそのまま読み進めてしまった。
 もちろん本当に関係がないのか、あるいはあるのかはよくわからない。こういった文学テクストを推理するにはかなりの部分読者の想像が必要になってくるので、それは捜査というよりは妄想の域だし、まさにその妄想をしているのが「何んでも無い」の姫草ユリ子なのだ。
 それに「何んでも無い」のはじめに出てくる曼荼羅先生の見た目がまさに「和製のシャアロック・ホルムズ」と書かれていて、しかも書簡体であるため、かえってちょっと醒めてしまった。個人的に。


シャーロック・ホームズの誤謬 (『バスカヴィル家の犬』再考) (キイ・ライブラリー)
評価 : (4.0点)

 いうまでもなくシャーロック・ホームズシリーズのうちの『バスカヴィル家の犬』を扱っている。おれはホームズものを一冊も読んだことがない。アニメや映画になってもいるが、ほかのメディアでも見たことがなく、このあいだロバート・ダウニー・Jr主演の映画を見たのがはじめてだった。
 しかしホームズを知らなくても読める。すべてネタバレしてしまうから。四部構成で、捜査、再捜査、幻想性、現実という順番で進んでいく。
 「捜査」で『バスカヴィル家の犬』のあらすじと、犯人も明かしてしまう。そして小説で犯人だとされた人物は実は犯人ではなく、真犯人は別にいるという。バイヤールはこの疑り深い批評を「推理批評」とよんで、「再捜査」においてこの批評の方法を説明しつついかにワトスンの記述やホームズの捜査が誤りであるかを分析していく。作者コナン・ドイルについては一切触れないので、これは作者は完全に無視するつもりなのかと思ったら、「幻想性」のところまできてやっとドイルの話になり、ホームズものを読んだことがないおれでも知っている、有名な「ホームズの死」についても書かれている。出版社やドイルがファンから脅迫じみた手紙を送られたことや、街中で急に泣き叫ぶものがいたなど、ファンの異常な心理状態について説明している(バイヤールは精神分析家でもあるらしい)。ここまで熱狂的なファンの心理は理解しがたいかもしれないが……というふうにバイヤールはいうが、日本ではむしろよく知られたことである。
 おもしろいのは、トマス・パヴェルなる人物にならって、小説の登場人物を実在しないとみなす立場を「隔離主義」、想像上の人物を実在の人物とをはっきり区別することがいかに難しいかを述べてから、虚構と現実の交流の場(「中間的世界」と呼ばれている)を認める立場を「統合主義」と分類しているところだ。ここに細かいことは書かないけれど。
 とにもかくにも最後の「現実」において、ついにバイヤールは真犯人を指摘する。最後は答え合わせのようなものなので、ちょっと緊張感が途切れてしまうところがあったし、「ひっぱりすぎ」ではないかとも感じたし、はっきりと別の犯人を指摘して謎の余地をまったく解消してしまうのはやはりどうなんだろうという根本的な疑問もわいてこないでもなかったが、『読んでいない本について堂々と語る方法』を読んでいると、これらの疑問も折込済みなのだろうという気がする。


生きているのはひまつぶし (光文社文庫)
評価 : (1.0点)

 ブックオフの駐車場代がかからないように買った一冊。105円。何か買わないと200円取られるので。
 「未発表作品集」となっているんだけど、単にエッセイというか独り言というか、ブログというか……しかも今日こんな記事を書こうものなら即炎上だろうなという感じの、頭の悪そうな、イタい記事で、いかにも「降りた」人の開き直りです。なにを言ってもむだじゃて、という態度。実際そういうことだと自分でも言っていますが。小説のファンですら顔をそむけたくなりそうな。
 イタいとかそういうことを抜きにしても、文章も非常にだらけてやる気がなく、おもしろいところがまったくありません。ひまつぶしにもならん。


小説神髄 (リプリント日本近代文学 88)
評価 : (1.0点)

 内容云々じゃなくて句読点ないわ旧字旧かなだわですさまじい読みづらさ。
 二年ほど前に岩波文庫で出してるんだけど、これ買った当時は文庫は中古しか無かったんです。中古見つからなかったので諦めてこれにしてしまった。じゃあ文庫に買いなおすかっていうと、微妙だなあ。読めないわけじゃないし、これ高かったし……


世界で一番美しい元素図鑑
評価 : (1.0点)

 正直に言いましょう。iPadへの嫉妬からだけでこんなくそ高いものを、大して興味もないのに買ってしまいました。とても後悔しています。でかいし重いし写真に余白が多い。サイズと価格が三分の一くらいなら納得できそう。


人のセックスを笑うな (河出文庫)
評価 : (1.0点)

 そうそう、吉行淳之介の『夕暮まで』のレビューでこれを思いだしたのにまだ書いていなかったということを今思いだした。
 というのは『夕暮まで』のような抜けおちた描写というか、舞台や描写、登場人物の関係性だとかがひどく抽象的なんです。アリエッティの背景みたいな。どこで誰が何をしているかというのがよくわからない。でもよくわからないこと自体がおもしろくない原因ではないようです。そういう小説はたくさんあって、そのすべてが必ずしも嫌いというわけではないので。
 この人の本は他でほとんど読んだことがないのであえてそうしたのかどうかわからないんですが、ケータイ小説みたいな浅さで、『太陽の季節』(内容)と『夕暮まで』(形式)を掛け合わせて超つまんなくした小説です。でもまあ好きな人は好きみたいで、群像なんかでもよく書いてるみたいですね。でも群像は本が売れるか受けるかに無頓着なんじゃねえかなあと思うときがあったりします。まあたまに立ち読みしてるだけですが。


ユートピアの文学世界
評価 : (2.0点)

 古本屋で発見して、安かったから買った。600円。古い本だと思った(けっこう汚いんで)らわりと最近の本で驚いた。
 まあかたい本です。難しくはないけどかたいです。前半100ページくらいで色々なユートピア文学を紹介していくところなどはまだおもしろい。というよりもここだけ読めば十分って感じ。
 残りはユートピアをテーマにした論文をいくつか集めたものなんだけど、これがマァー中途半端な長さだし、どれもすっきりしない。「これユートピアが主題じゃなくなっちゃってね?」というものもある。
 600円なので前半をユートピア文学の参考文献目録として納得しておくが、新品で買っていたらかなり後悔していたと思う。後悔というかカチンときたはずだ。Amazonのレビューはさすがに私怨だと思うが、確かにおもしろいといえるような内容ではない。
 それに三四十年前の本だと思えばほほえましい気持ちで読めるけど、三年前でこの内容ってどうなの。古くねえの。
 巌谷國士の『シュルレアリスムとは何か』のほうが分かりやすいしおもしろい。これは「シュルレアリスム」だけじゃなくて「メルヘン」「ユートピア」に一章ずつ割いてるんで、個別の作品についてはあまり多くは書かれてないけど。
 タイトルと目次で買っちゃったからなあ。おれは「世界のユートピア文学」について知りたかったんだよ。そういう比較とかが読みたかったの。目次に「日本古典文学のユートピア」というのがあったからそういうもんだと思っちゃってさあ。古本だと安いんで勢いで買っちゃうんだけど、もっとちゃんと読んでから買わないといかんなあ。


原色の街・驟雨 (新潮文庫)
評価 : (4.0点)

 鳩の街とよばれた赤線を舞台にしているらしい。今の東向島のことで、永井荷風の『墨東綺譚』もこのあたり(玉ノ井)が舞台になっているそうだ。
 今の東向島というのは二三十年ほど前の景色がそのままうらぶれていったような景色で、赤線の面影があるのかどうかはよくわからない。ちょっと写真を借りる。http://hakkenden.blog.so-net.ne.jp/2008-02-17
 『原色の街』から表現を借りれば、「どぎつい色あくどい色が氾濫している」ということで、これは看板のことで建物自体に特徴があるわけではない。店の描写は「洋風の家」となっていて、今日見たところで見分けはつかないように思われる。何のことはない古い家が赤線の名残である可能性もあるわけだ。
 最後解説を読んでおもしろいなと思ったのは、吉行はこのころ赤線に行ったことは二三度しかなく、しかも「娼婦に触れたことはなかった」と述べているということだ。つまりこの作品はほとんど想像で描かれているということらしい。
 『驟雨』は男の目線だが『原色の街』は女と男のパートに分かれていて(いずれも三人称)、やはり女性の描写は「男から見た女」なのだが、しかしそれよりも吉行淳之介のものの見方というか立ち位置が、一歩引いて見ているという感じがする。
 松岡正剛の千夜一冊(http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0551.html)にも書かれているのだが、吉行は「左翼知識人」をすごく嫌っていたらしい。安部公房の関係の本でも、若いころ公房が左翼のコミュニティで集まって議論をしていた(若いころ共産党に入ったりもした。後に追い出された)ところにどこからか紛れ込んで議論を冷やかしていたという話を見かけた。壁に寄りかかって飄々と「冷やかしにきましたよ」と言ったら本当にしらけちゃったとか。
 エッセイの名手といわれただけあって(読んだことはないが)、なんのことはない描写もよかった。それと『夕暮まで』でもそうだったが、けっこう「夢」を使った比喩表現が多かった。


機動戦士ガンダム画報―モビルスーツ二十年の歩み (B media books special)
評価 : (4.0点)

 ちょっと下のレビュー長すぎるな。
 騎士ガンダムは実は武者頑駄無の一人って書いてあってびっくりした。そうなのか。
 そういえば富野の対談集みたいのも本屋で見たな。最近でたのかなんなのか、けっこう何冊も置いてあった。
 押井守もそうみたいなんだけど、自分が過去作ってきたものの熱狂的なファンに対してやたら否定的に距離を取ろうとするよね。制作者側からしたら「あのころの君でいて」と感じられるのかなんなのか、まあおれはアニメはZしか見てないんで、BB戦士(接着剤をつかうやつは一度だけチャレンジして挫折した)とかガンケシとかゲームとか、OVA(レンタルビデオで借りてた)とか派生したもののファンって感じです。だからカタログはおもしろい。
 ちなみにガンダムWまでです。


もうすぐ絶滅するという紙の書物について
評価 : (4.0点)

 最近『記号の知/メディアの知』を読み返している。この本のAmazonのレビューに「簡単なことを理屈くさく長々と語って」いるという評価があって、なんでそういう人がこんな「高い」本をわざわざ買って(買ってないのかもしれないが)しかも文句を言うのかよくわかりませんけども、その考えはわからないでもない。リョサの創作論なんか読んだりしていると、確かに一々長ったらしいなと思わんこともないんです。
 まさにその『若い小説家に宛てた手紙』の訳者あとがきで、「レクトゥール」と「リズール」ということばがつかわれている。そのあとがきを引用しているページがあったのでそのままコピペさせてもらおう。
――
 A・チボーデは『小説の読者』(白井浩司訳、ダヴィッド社)の中で、読書人をレクトゥール(読者)とリズール(精読者)に分けて、前者が「小説に対して娯楽、気ばらし、日常生活の急速」しか求めない人たちであるのに対して、後者は文学が「一時的な娯楽としではなく、本質的な目的として存在し、他の種なる人間の目的と同様に、全人間を深くとらえる、そういう世界から選ばれるのだ」と述べている。
――引用終わり――
 この『もうすぐ絶滅するという……』も立ち読み(座ってたけど)したものなんですが、五冊くらいざっと読んで最終的にこれだけ買ってきました。
 実は前から気になってはいたんです。でもぜんぜんブックオフで見つからないし、別に専門書でもないわりに高けえし内容もよくわからない、冒険できないなと思っていたのが、たまたま本屋で見つかって、ちょっと読んでみたらかなりおもしろい。他を全部諦めて買ってしまいました。
 電子書籍は普及しても紙の本はなくならないだろうとエーコとカリエールは言ってます。飛行船やコンコルドを例にあげて、むしろネットのほうがなくならないとも限らないとも。ただし必ずしも紙がいいんだとか紙であるべきだというようなことではなくて、両方あればいいんじゃないかと。色々なメディアで読めるほうが疲れないからいいとか、けっこう適当なこと言っているんですが、実際に昔アメリカかなんかでそういう研究があったらしい。これは別の本、たしか安部公房が書いていたと思うんだけど、パソコンでは寝っ転がって読めないから紙の本はなくならないだろうというけっこうマジな研究結果でたそうです。
 電子書籍なら寝っ転がって読める。読めるけども、そのまま寝ちゃったらあぶないでしょみたいな。基本的にはビブリオマニアの雑談ですけども、ヘンに電子書籍を敵視していないというのがいいんですね。今日は帰りにブックオフで『機動戦士ガンダム画報』というのをつい買ってしまったんだけども、これはモビルスーツの紹介からプラモやゲーム、SDガンダム(OVA)についても軽く触れているんです。古い(十年前くらい)けどもかなり網羅的なカタログという感じで、この本もそういうふうに、どこをめくってもおもしろい。それでまあ高いけど、他の本を諦めてでもこれはほしいなというので買ってきた次第です。
 ウンベルト・エーコというのは記号論の権威ですけども、邦訳はないんだけどイタリアのほうでかなりくだらない本や美術品を集めて紹介するような本(『贋物戦争』)を出しているらしい。エーコはすごい読書家なんだけど、聖書なんか全部読んだやついるのか(つまり自分は読んでいない)ってぶっちゃけているし、子供のころ近所のお姉さんに本を貰ったとき「おもしろいから読んでいるのか、読んでいるのがおもしろいのか」と訊かれて正直後者かなあというふうに思ったという話などもある。
 前に紹介した『読んでいない本について堂々と語る方法』に重なるところがあるんだけども(ちなみにこの本にはエーコの小説『薔薇の名前』がでてくる)、だいたいそんなに全部読まなくたっていいと言っている。エーコはリズールかというと、そうでもないのかもしれない。
 カリエールという人のことはよく知らないが、とにかく二人ともくだらないものがすごく好きらしい。それで最初に戻ると、「簡単なことを理屈くさく長々と語」れるということは「くだらないもの」を不必要だと切り捨ててしまうある種の合理主義的な判断の否定でもあるんじゃないだろうかとも考えられるのだ。
 これ400ページ以上あるんだけど、ちょっと本が小さいうえに字が大きいから、まあちょうどいい長さかな。ちなみにこれ本の横が青く塗られていて、あのー、『AKIRA』の単行本みたいな感じになってる。普段はおれ装丁ってあまり気にしないんだけど、これは気になっちゃったね。ちょっと手に持って眺めてしまった。


若い小説家に宛てた手紙
評価 : (4.0点)

 本屋に椅子があったので、150ページ程度だったから適当に読み飛ばしつつという感じで。買ってませんけど。
 日本でもガルシア=マルケスが広く紹介されることによって脚光を浴びたラテンアメリカ文学から、再び受賞作家がでた。
 ガルシア=マルケスは日本では安部公房や大江健三郎なんかも紹介した作家で、公房などはその前年に受賞したエリアス・カネッティに驚いていたところ、さらにものすごい作家が出て来た、というほど衝撃的だったという。しかしバルガス=リョサについては、
――引用――
 ボルヘス、カルペンティエール、ジョサと読むのか、リョサと読むのか、リョサが正しいという説がありますが、まあどっちでもいいでしょう。こうした作家たちはこのところ毎年ノーベル賞の有力候補に名をつらねていたらしい。だからと言って、ひっくるめてラテン・アメリカ文学と言って済ませてしまえるものかどうか、僕は反対なんです。そういう見かたでマルケスをとらえると間違えるような気がする。マルケスとジョサでは全然レベルが違うような気がする。
(『死に急ぐ鯨たち』「地球儀に住むガルシア・マルケス」)
――引用終わり――
 と非常に低くみている。こんな引用の仕方をすると苦労人の貧乏作家という感じを醸してしまうけども、セルバンデス賞なんか受賞して注目されていた作家ではあります。公房個人の感じ方で、ぼくもそれしか知らなかったというだけです。しかし上に引用した本は昭和61年ですから、細かいことは知りませんが少なくともそれ以前の文章ということでしょう。そのころからすでに候補にあがっていた作家が、去年やっと受賞ということになったわけですから、やはり苦労人という感じはします。
 この本を読んでもそう感じられます。すごくストイックで、名声やなんか成功してからの夢を紡ぎすぎるのはよくないとか、小説家になるというのは人生を賭けるということだということを言っています。非常に情熱的でもありますが、ちょっと固すぎるんじゃないかというくらいです。古風というんでしょうか。
 挨拶が済むとラテンアメリカの作家を中心に創作論という感じです。コルタサルやらボルヘスやらです。ボルヘスを模倣する作家は多いけれど、そういう作品を読むとズレたヅラを見るようにいらいらするとか、そういうことを言ってます。あとは台詞にト書きをつけるかつけないかで焦点人物が変わるとか、こういうのは細かいことだけど重要なことなんだと。ト書きというのはつまり鍵括弧で括った台詞に<と○○は言った>という文章をつけると三人称の語り手になるけども、つけないと語り手が喋っている人物にそのつど変化するということのようです。
 覚書でもあるので長くなりました。買わなかったのは、おもしろい創作論だけど、何度も繰り返し読む類の本ではないなと思ったからです。
 そうそう、最後に、文学評論にはすべては語れないという批判が見られました。文学評論が無駄だというのではないがともいっていますが、やはり小説家の創作論にかかるとそんな気もしてしまいます。
 おもしろい本ではありますから、そのうち買うかもしれません。ちなみにブックオフにはもう中古がありました。


3・11の未来――日本・SF・創造力
評価 : (4.0点)

 レビューはライブラリ管理からしかできなくなったみたい。
 週刊誌みたいに好きなところから読んで、暇なときにとくに興味のないところを読んだらいいんじゃない。そこそこ分厚いし、震災以降という以外は個々に関連はないから。まあ勝手に関連づけることはできるだろうけど。
 正直なところ、おれはクリストファー・ボルトンの安部公房論が読みたかっただけで、あとはもともと興味がなかった。
 名前の豪華さで客を集めている感じはありますね。小松左京の絶筆とか。押井守なんかはぜんぜんやる気がなくて、要約したら「おれはもうトシだから若いやつがんばって」というくらいの話です。
 C・ボルトンはよかったけど、全部わかる作品だったというのも大きいかもしれません。安部公房のほかには『AKIRA』にしか触れてなかったから。この人は文芸誌やら思想誌にちょいちょい邦訳があるみたいだけど、単行本出してほしいよなあ。


停電の夜に (新潮文庫)
評価 : (1.0点)

 売ってしまった本がときどき思い出される。これはレビューの評価はいいが、おれはつまらなかった。
 昔は積読というものを一切しなかったし、読み終わったらすぐに売っていたので、上下巻や全何巻という本は別として、そのとき読んでいる本しか手元に持っていなかった。
 つまらないけど読んだ本というのは、他に読むものがなかったから読んでいた。積読があると読まない。しかし本はその時々で自分の中で価値(評価)が変わるので、無理に読んで売るとそういう変化があまり起こらなくなってしまうということもある。


檸檬 (新潮文庫)
評価 : (3.0点)

 表題作は昔読んだときにはおもしろくねえなあと思ったけど、今日読んでみたらけっこうははあとなった。途中寝ちゃったけど。
 開高健は、ずっと机に向かって文章を読んでいると、温度や意味が消えていくということを言っていた。これはこの本をはじめて読んだころにはわからなかったことだけど、今ではよくわかる。本当に文章の意味がわからなくなるということはあるんです。それでも読んでしまった本もけっこうあるけれど。
 この『檸檬』という話は、鬱々として歩いていたらレモンの匂いが鼻をついて、何かこう感覚が戻ってきた感じを受ける。それで憂鬱でしかなかった丸善の本の売り場に行って、本を積み上げては崩し、その色彩の上にレモンを乗っけてそのまま帰っちゃえゲヘヘーという内容です。
 他にも作品はあるんでげすが、字数を食ったのでもうちょっとだけ。三島由紀夫のどの作品か忘れたけれど「生が極まって独楽の澄むような静謐」という表現がある。この『檸檬』の中の『桜の樹の下には』には「一体どんな樹の花でも、所謂真っ盛りという状態に達すると、あたりの空気のなかへ一種神秘な雰囲気を撒き散らすものだ。よく廻った独楽が完全な静止に澄むように……」という文章があって、かなり似た表現だよね。また浅田彰の「器官なき身体」の説明も思いだす。


記号論の逆襲
評価 : (2.0点)

 これもさっきのと内容は違うけど同じような感じ。今さら有用ではないということね、まだ大学なんかで記号論やってないころの本。
 おれは二年前くらいに「記号論」について知りたいと思って色々本を探していて、でもどういう本がいいのかわからないからタイトルに「記号論」とついたものを取り合えず読んでいったわけなんだけど、やはりあまりいいチョイスとは言えなかったね。「構造主義」とタイトルについた本を建築関係の内容だと勘違いして買っちゃったというレビューを見てゲラゲラ笑っていたけど、おれもさほど変わらないレベルだよな。
 そろそろ記号論おさめということで、オンラインテキストを紹介しておきます。http://www.wind.sannet.ne.jp/masa-t/index.html
 これの何がいいってただで読めること。あと用語で分けてあるから構成としては読みやすい。シンタグムとパラディグムの項目(4)もありますし、クリステヴァの導入した間テクスト性(13)についても書かれています。読みづらいというのは訳がちょっと堅いということだけです。


記号論の思想 (講談社学術文庫)
評価 : (2.0点)

 理論的なことが書いてあるわけじゃないから、バルト、デリダ、ラカン、ボードリヤールなんかを並べて論じて行くわけだけど、個々の思想家についてのある程度の知識が前提として必要だし、恣意的な接続の仕方を今読んでどうということはないから、絶版になるわけだよね。


河原官九郎 (角川文庫)
評価 : (3.0点)

 なんか本を読むのが苦痛だなあというときにこういう本を読んでたんです。毒をもって毒を制すですよ。敵を知り己を知れば百戦危うからずですよ(チャップ・アデル)。
 キリなくなるから漫画はやらないと思うんだけど『THE3名様』という漫画が好きなんですね。宮藤官九郎を見るとこの漫画を思い出すんだよ。
 まあクドカンも好きです、ドラマとか舞台とかあんまり見てないんだけど。それなりに癒されました。


シネマ坊主 (幻冬舎よしもと文庫)
評価 : (2.0点)

 ゴミ、というタイトルのレビューがゴミ。暴言はいて同じ土俵に乗るよりも升席から文句を言うほうがいいっていうのか。同じ土俵に乗ったからにはひかえおろうというのか。こういうのがすっぱ抜かれて「だから日本(人)は……」みたいになるんだからよう。
 まあレビューはレビューとして、この本はおもしろくありません。けっこう前だと思うけど、プレイボーイかなんかで松本人志が連載しているのを読んだことがあって、いっぺんがっつり読んでみようと思ってたまたま本屋で見かけたのを買ったわけなんだけど、これ雑誌の中にちょろっとあるからおもしろいんだろうねえ。一冊の本になっちゃうと「こんなにいらん」ってなる。わりと全体的にトーンが同じだし。
 とりあえず宮崎駿はすごく嫌いみたいで、映画見てないのに嫌いって言ってました。あと「ちゃんとした声優を使え!」とも。


物語の体操―みるみる小説が書ける6つのレッスン
評価 : (2.0点)

 もう売っちゃったんでうろ覚えなんだけど、プロップなんかの名前もでてきて物語論を創作の方法として利用しているという感じだったはず。
 カードを並べてランダムに選んでいく、というようなやり方だったかな。カードを使うやり方は外山繁比古の『思考の整理学』でも紹介していた。最高の表現(ことば)を最高の順番で組み合わせたらそれがつまり最高の詩だ、みたいなことをエリオットが言っていたんだったと思う。すごいこと言うよね。
 記号論の用語でいうとシンタグム(連辞関係)とパラディグム(範列関係)というのがあって、これは文章の縦の順番と横の選択ということなんだけど。
 たとえば倒置法は順番の入れ替えでしょう。で、任意の順番の中でどう言った語を選ぶかというバリエーションが横、つまり統辞と意味の組み合わせなんだけど、それを物語の構造として捉えて作っていきましょうというのがこの本の内容だったと記憶してる。
 だからまあおもしろくはなかった。そういう学校に通っているとか、文章を売ろうとか、なんらかのこなすべき課題や目的があってこそという感じ。これだけ読んで「みるみる書ける」かというと、まずないだろうと思うね。
 筒井康隆が『文学部唯野教授』で書いていたけど、構造主義なんかは創作の説明はできたとしてもモチベーションにはならない、というのをまさに感じさせる内容だった。


白痴 (新潮文庫)
評価 : (4.0点)

 これはよかった。表題作もいいけれど『いずこへ』『母の上京』などことごとくよかった。短編集というのは(一気に読むと)だいたいひとつふたつ気にいらないのが入っているものなんだけど。


堕落論 (新潮文庫)
評価 : (3.0点)

 最近は批評やら思想やらでけっこう坂口安吾が引かれるんだよな。なんなんだろうね。
 何年くらい前に読んだんだったか、『白痴』ならおもしろかったけど、こちらはよくわからなかった。内容がどうということよりも、知らない言葉がいくつかでてくるとどうも頭に入ってこないんだね。そろそろ読み返してみてもいいかもしれない。


文芸批評論 (岩波文庫)
評価 : (3.0点)

 最近じゃこの本の批判から評論に入る人もいるくらいの勢いらしい。
 伝統批評だから今ではそのまま受け入れるのはむつかしいんだけど、先入観もあるんではないかという気もする。簡単に批判できるわけでもないし。
 訳がなんかちょっと軽いノリ(口語を強調しているのかところどころ「まあ」とか入ってる)なんで、読みやすいといえば読みやすい。


編集者の学校
評価 : (4.0点)

 今は書きたい人がすごい増えてるから、創作の心構えとか、表現者としてどうこうとかいう話はネットでも多いんで、こういう心得というのはかえって新鮮なんじゃないかと思う。まあ色んな意見があって、一つの方向に集約していくというわけではないんで内容の説明はむつかしいけど、編集者の役割として「アマチュアのプロになれ」というのがおもしろかった。要は「うまく書かせろ」ということなんだろうけど。
 これはブックオフで150円という爆安価格だったんです。


群衆心理 (講談社学術文庫)
評価 : (4.0点)

 まあでも「群衆」というのはル・ボンが名付け親なんだよな。
 ここから今度はエリアス・カネッティの『群衆と権力』に行くわけです。これはレビューは書かなかったけど、botを作ってある。


革命的群衆 (岩波文庫)
評価 : (4.0点)

 すっかり動きがとまった感があるが、おれは回復したので続ける。読んだ本はもう少しだけあるし、適当にレビューしてしまったものを多少書きなおすかもしれない。まあやらないかもしれないけど。
 群衆というものに興味がある。興味と言っても肯定的に捉えているわけではなくて、たとえば海の岩場にへばりついたフナムシや乾いてひび割れた土やまだら模様などを見ていると気持ち悪くなってくるように、都会の身動きできないほどの人ごみにかめはめ波をぶちこみたくなるように、多勢に無勢を卑怯と感じるように生理的な嫌悪でもって捉えていた。しかし考えて見るとこれらはどれも「群衆」ではない。
 革命的群衆というのは、今日本で言えば反原発のデモのようなものである。その主張内容の是非はおくとして、別にデモ自体には反対ではない。たまに都心ででっくわす長い行列が通行の邪魔だと感じることはあるが、嫌悪はしていない。おれが嫌悪している群衆というのは、ギュスターヴ・ル・ボンが『群衆心理』で扱っているような付和雷同などを指すのだが、ルフェーヴルはこれを批判している。ル・ボンの場合はどこかにリーダーがいてそれが伝播していくことを問題にしているが、ルフェーヴルは個人の心理と群衆の心理は別物だと述べているのである。
 まあでもどちらも読んでおいて損はないと思う。ル・ボンの議論が「群衆」を指すものとして誤りだったとしても、すなわちその内容までもがすべて誤りだというのは早計だし早漏だろう。


スター・ウォーズ 過去の亡霊〈下巻〉 (ソニー・マガジンズ文庫)
評価 : (3.0点)
スター・ウォーズ 過去の亡霊〈上巻〉 (ソニー・マガジンズ文庫)
評価 : (3.0点)

 これも読んでたみたい。


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